あの時の私の感情はどう表現すればよいのだろうか。
男としてごく普通の成長過程を経て…初めての精通を経験してから、自然な流れで自慰を覚え、そのまま自然と異性に目が行き、その体つきや所作などに自然と欲情を覚えた。この欲情のプロセスは人間としてあたり前のことで、人間に限らず生物であれば必ず備わっているもっとも自然な行為である。
だから欲情に目覚めたその時から何の疑問を持つこともなく、クラスメイトの女性に淡い恋心を寄せ、その
裏では激し欲情を覚え、妄想の中で何度も陵辱を繰り返しながら、尽きることのない自らの精液に昼夜まみれながら生きていた。
後付けの知識ではあったが
自慰後のあの虚しさは人間の原罪の意識から発せられるものではなく、実際のセックスで射精した訳ではないので本能からの拒絶反応のようなものだ、というひとつの仮説を知った。その時から何故か自慰後の罪悪感というものが無くなった。性的な快楽というものは自然に備わった生物の宿命なのだと、それこそ私の本能の部分が理屈抜きに受け入れたのだと思った。
男には自然のなすがままに性欲が芽生え、常にその衝動に突き動かされながら生きている。本能の求めるその先には女との肉体と肉体とがまみれ合う様々な欲情が重なり合う場面となって…そこに最も求められるのはやはり本能である。肉欲であり、征服欲であり、非征服欲であり、快楽欲でもある。その欲の根本はすべてが本能なのである。本能に従うのはごく自然なことであって、その本能に従ってきたから人類は繁栄できているのだ。
人間であれば誰にでも備わっている本能。そしてそれに突き動かされるように行なわれてきた自然な行為。誰もが知っていて、誰もが知らんぷりをする公然の秘め事。いや、それはすでに秘め事ではないのだ。自然の流れの中で自然と紡がれてきた自然な行為なので、ごくあたり前の日常に溶け込んでいるのだ。
日常の中にありふれたごく自然な物事である。多少の好奇心を誘う場面もあるが普通に起こりうる自然現象としてスキャンダルを含めその顛末は大抵のことは大多数の共感を得ることができる。何故ならそれは自然な事であるからだ。では…不自然に対してはどんな状態になるのであろうか?
あの時、汗にまみれた自分の体を拭いていた佐々木の
裸体を目の前にした私の感情は…本当に説明が難しいのだが、この歳になってようやく輪郭が見えてきたのかもしれない。まずは「不自然」というワードが最初に出てくるのである。自然とは対極にある不自然なこと。不自然とはなんなのだろう。
例えるなら、全国には有名な観光地、観光名所が多々ある。そんな中でも象徴的なものに自然の情景に溶け込んだ寺社仏閣や限りなく自然を感じさせる巨大な公園や庭園などがある。それらは観る者達を非日常の世界に誘い込み魅了していくものだ。日常の画一化されたありふれた世界を忘れさせて自然の素晴らしさを再認識させてくれるものであるからだ。
だが、その実、それらほど不自然な物はないのである。かつては本当の自然であった山々を切り拓き様々な計算が施され建設された多くの寺社仏閣や庭園。それこそ本物の自然とは対極にある不自然の極みである。
大都市にある巨大なビル群や身近にある住宅街やそれに準ずる数々の建造物や施設。確かにこれらは不自然の代表格ではある。が、その本質は自らを自然の脅威から守るという人間の生存本能が、人間の進化と並行して発達させてきた環境である。そういった意味で人間にとっては生存するために発達させてきた自然な状況なのではないか。日常の自然な情景としてあたり前に溶け込んでいるのだ。
だからこそなのだろう、自然を感じさせるが、実の所はとても不自然な情景は、本能をバグらせ神秘的な美観となって人々の目を魅了するのかも知れない。
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