読切小説
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扉の向こうへ
扉の向こうへ    
河志摩 運 (かわしま、はこぶ)

「芸(ゲイ)のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか、雨の横丁、法善寺、浪花しぐれか、寄席林囃子、今日も呼んでる、今日も呼んでる、ど阿呆春団治…」
黒塗りのありふれた扉を引くと同時に、カラオケの演歌と楽しそうな話し声が扉の中から一気にフラッシュオーバーして、瞬の耳に飛び込んで執拗に絡んで来た。
「浪花恋しぐれ」を歌っていたのは、身長が160pくらい?70代で陳(チン)さんと言う愛称で呼ばれている在日台湾人で、頭の禿げた小太りのチンケ?で可愛い年寄りだ。
「そりゃわいはアホや、酒もあおるし、女(男)も泣かす、せやかて、それもこれも、みんな芸(ゲイ)のためや、今にみてみい!、わいは日本一になったるんや、日本一やで、わかってるやろ、お浜(オカマ)、なんやそのしんき臭い顔は、酒や!、酒や!、酒買うてこい!…」
「シュンちゃん、いらっしゃい」と「樹根」の2人の年配従業員がカウンター越しに声をかける。
新たな客が入って来たのに気づいた店内の男たちが、その客が自分のタイプかどうか? を瞬時に品定めする鋭い視線を向けて来た。それは子孫繁栄のために動物のオスがメスの相手を探すという自然な行為の視線ではなくて、人間のオスがオスを性的な対象物として見る同性愛者の鋭い目線だった。
「シュンちゃん」は本名が木叢 瞬(こむら、しゅん)と言う。「木叢さん」とか「瞬さん」でなくて「シュンちゃん」と、いい歳して「ちゃん」付けされて呼ばれるのが、本人はあまり好きではない。
「郷に入っては郷に従え」である。瞬は面倒くさいから、そのままにしていたら、いつの間にかその愛称に馴染んでしまった。
ホモセクシャル、同性愛の世界では本名を隠して、苗字や名前の頭文字から取った愛称や住んでいる場所などから名づけた通称で呼ぶのが恒例となっている。
同性愛者だと言う引け目の気持ちやホモだとバレてしまった時、世間の人を見下す目が恐ろしいのと仲の良い友達や親しい知人たちの驚嘆した眼差し、軽蔑を含んだ視線が恥ずかしくて怖いから本名を隠す習性がある。
プライバシー保護の観点と便宜上からゲイバーのマスターや従業員が勝手にお客さんを命名して、キープしたボトルに名前を書いている。
佐藤や田中など全国どこにでも転がっている苗字は沢山あるから、サーさんやターさんと言う愛称が複数ダブルことはよくある。その場合は練馬のサーさんとか、福島のターさんのように区別して男を色分け(エロ分け)している。
「いらっしゃい」と小太りで少し腰が曲がり、頭がツルツルに禿げたターさんと呼ばれている樹根の着物姿のマスターが、瞬に親しく声を掛けた。
上野の通称、小便横丁の2階にある樹根(ジュネ)と言う小さな紫色の看板を掲げたこのゲイバーは、一般人(ノンケ)お断り、男だけの会員制の店である。別に特別な会員でなくても男でさえあれば気楽に入れるのだが…。
この扉を境にホモセクシャル、ゲイのアブノーマルな禁断の世界に立ち入ることが出来る。ノーマルな一般人とは全く違う、男だけを愛する裏の社会で、ホモたち同類だけが心ときめき安らげる領域なのだ。
ごく当たり前の男女関係、肉体関係が成り立つ表舞台では性的興奮が得られず、チンチンが勃起しない?裏の世界なのだ。一歩、店内に立ち入れば世間から隔離した男同士の陽気で気軽な楽しい同性愛の世界の入り口に踏み込める。
「そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜、オッパッピー」
世間一般の常識的な男女関係とは「そんなの関係ねぇ〜」と男性だけを愛する性的関係の秘密を共有し、精神的な安心感と一体感と肉欲の絆で結ばれた男たちの世界で、そこには女性は一切存在しない空間なのだ。
樹根はマスターのターさん(田島さん)82歳と76歳のキンちゃん(欣次)が経営し、従業員のケンちゃん(健介)77歳の3人で運営している。土日の忙しい時には71歳のシンちゃん(伸治郎)と言う小柄で痩せた人懐っこい笑顔のお爺さんがアルバイトのヘルプで出勤している。
樹根で一番人気のキンちゃんはここ数日、風邪を引いて体調を壊して休んでいる。樹根は上野の人気店なので、キンちゃんが休むと忙しくて、てんてこ舞いなのだ。
ターさんとキンちゃんは夫婦?でもう30年以上もの長い間、鶯谷駅近くの2DKのマンションで同棲している。世間体を全然気にしない何とも羨ましいカップルなのである。長年、男同士が同棲時代を過ごしても、結婚出来る訳でもなく肉体関係があるのは数年で、セックスがなくても夫婦同様、精神的な絆で結ばれている親友や兄弟のような関係になってしまうらしい?
瞬は入り口から右側カウンター席の空いている椅子に座り、同類たちの吐く空気が醸し出す独特な空間に身を置くと、安堵感を肌で感じてほっとした気分に満たされた。
「あなた、おまえ、呼んで呼ばれて、寄り添って、やさしくわたしを、いたわって…、好きで一緒に、なった仲、喧嘩したって、背中あわせの、ぬくもりが、かようふたりは、ふたりは二輪草…」
店内はカラオケの演歌が、次から次へと連続して歌われている…。

今朝、瞬は自宅のある千葉県から常磐線の快速に乗って上野駅まで出て来た。日中の車内は通勤時と違い、かなり空席が目立ってゆっくりして座ることが出来た。
年齢を問わずに周りの乗客の殆どがスマホと格闘して、誰一人として他者を気にする事なく、スマホから目を離さずにじっとしていた。
市街地をスマホ歩きをしている人は、スマホ画面の一点だけしか見ていない魂のないゾンビに見える。目の前の歩行者を避けて通らないから人にぶつかることが多い。
車窓から新緑が映える田園風景が流れてゆく。ガタンガタンと車両が軋む音以外、乗客の話声もなく静かな車内で、三島由紀夫の小説「禁色」の文庫本を再読している瞬は何故か?自分だけが浮いているような雰囲気で異質な存在に思えてしまう。
瞬が最初に「禁色」を読んだのは22歳の時で、あれからもう半世紀以上が経過している。
50年ほど前、「彼が禁色の主人公、悠一のモデルになった男だよ」と新宿二丁目の「お馬」さんと言うゲイバーのマスターに教えられた事がある。その男が小説内の主人公の美男子とあまりにもイメージがかけ離れていたのに失望した記憶が蘇る。
最近、子供のスマホによるSNS依存症からスマホ中毒、さらに自殺にまで至ると言う。アメリカではSNSを運営する企業が裁判沙汰になっているとテレビで報道していた。
スマホが体の一部分になって、もうスマホ無しでは生きて行けず、SNSやゲームなど多様過ぎる便利な機能のアプリケーションによって、日常が逆にスマホにコントロールされてしまっている。
中国では人型ロボットの進化が著しく、近未来、左手甲に小型のスマホの液晶器具が埋め込まれて音声で操作している新人類?が登場して来るかも知れない。日本でも酒やタバコのように、SNSも未成年を規制する、それなりの法改正と制限が必要なのかも知れない。
瞬は久しぶりに樹根に飲みに来たが、営業開始の2時まではまだ早いし、あまり早く行っても客が少なく従業員だけでは間が持たないので、居酒屋で生ビールを飲んで時間をつぶそうと思い、樹根の近くにある数件並んだ居酒屋のあまり高くなさそうな店に初めて入った。
店内は昼どきなのにまだ空いていて、若いベトナム人の男と女の子2人が働いていていた。何故か?日本人の従業員は一人も居ない。
日本語をまだ完全に理解していない、顔が小さくてあどけない中学生のような女の子が注文に来た。
ここはタブレット端末機器を使っての注文ではなくて、客のスマホでいちいちQRコードを読み取って注文する面倒くさい方式だと言う。これではガラケーの年寄りは気軽にお酒も飲めやしない。
しばらくして注文した生ビールともつ煮の込みは来たが、追加注文したはずの季節の野菜と海老の天ぷらの盛り合わせがいつまで待っても来ない。
片言の日本語を話すベトナム人の女の子を呼び、確認したところ、転送したはずの注文がまだ届いていないと判明した。
「もう要らない」と呆れてオーダーを取り消し、時間的にまだ早いが店を後にした。
いくら日本が人口減少で外国人に頼らなければならないとは言え、こんな居酒屋には二度と行かないと心に決めた。
東京では深夜営業のコンビニでも、アジア系やパキスタン人など中東系の外国人店員が数多く働いている。最近のアメ横は東南アジアの市場の屋台みたいな雰囲気で、どこもかしこもわけの解らない外国人ばかりで賑わっている。
「千葉の田舎と東京は違うなぁ〜」と瞬はつくづく実感した。
 最近はたまに上野しか足を運ばないが、電車内や駅構内、市街地も外人だらけで、超高層ビルが立ち並ぶ新宿や池袋、特に開発が著しい渋谷の街はどう変わってしまったのだろうか?と思う。

樹根の店名はオーナーのMさんが、「泥棒日記」の代表作で有名なフランスの作家ジャン・ジュネから取って名付けたと言う。店の名をカタカナのジュネにすると
「愛するってこわい」が1968年に大ヒットした歌謡ポップデュオの「じゅん&ネネ」みたいで、オカマと言う差別用語をバカにする気は毛頭ないが、いかにも新宿2丁目のオカマバーや女装バーを連想してしまうから、漢字で樹根にしたらしい?とターさんが教えてくれた。
昭和24年生まれ77歳のMさんは東京墨田区の下町で、金属部品加工の小さな会社を経営している。自宅兼工場では70歳代後半で後期高齢者の熟練従業員が数人働いている。
ここ数年の円安や物価高の影響で、経営が厳しく、仕事が忙しくてMさんの残業が多いから、Mさんは樹根には殆ど顔を見せたことがない。噂では恰幅が良くていい男で、中肉中背だが筋骨逞しい好好爺らしい。
Mさんには奥さんも子供もいるし、孫もいる。既婚者であるが、奥さんが自分の愛する旦那さんがホモセクシャル、同性愛者だと言うことを知っているのか?どうかは定かではない。
旦那さんが同性愛者のホモだと解っても子供との家庭生活があるから、離婚したいのを我慢して仮面の夫婦生活を続ける場合もある。しかし、世の中には既婚者で隠れホモセクシャルの人がごく普通に幸せな家庭生活を営んでいるケースはいくらでもある。
「ノンケさんお断り。でも可愛いお爺さんなら大歓迎です」が口癖のケンちゃんは、浅草のホモのハッテン場で名高い墨田公園で引っかけた女好きなノンケ爺さん(村田さん)を樹根の常連客にしてしまった。 
男らしくてホモ受けする顔の村田さんは、樹根でお酒を飲んで、カラオケを数曲歌って楽しんでから、かなり年配のママさんがやっている馴染みのスナックバーに飲みに行くという。
 村田さんをノンケとは知らずにモーションをかける男たちがいるが、村田さんは根本的に男に興味がないから所詮、無理な話なのだ。我々ホモ族?からすれば実に勿体ないと思うのだが…。

「おはようございます」と腹が出て和服が似合うターさんが、信楽焼の大きな花瓶に白いカサブランカの花を活け終わったので、瞬のもとに改めて挨拶に来た。
「おはよう…」の声掛けは昼でも、夜でも、お客様に対するゲイバーのご挨拶らしい。
「シュンちゃん、久しぶりですね。しばらく顔を見せないから、いい人が出来たのでしょう!」とケンちゃんがおしぼりタオルと割り箸、ひじき煮が入ったお通しの小皿を出しながら、カウンター越しに声を掛けた。
「そうだといいけど、良い人なんてそうはいないよ」
「シュンちゃんが相手を選び過ぎじゃあないの?」
「そうかなぁ〜」
「何にします?ビール、焼酎の水割り?」
「今日は暑いから、まずビールにしようかな」
「アサヒ、キリン?」
「泡さえ出れば何でもいいよ」
「じゃあ、私の白い泡じゃあダメ?」
「ケンちゃんのだったらOK牧場だよ」と瞬は小柄で可愛いケンちゃんが好きなタイプなので即答した。
瞬はビール党なのだが、ゲイバーでは昔のように好きなタイプの客にビールを注ぎ回りアピールするという風習がなくなり、いつからか?ボトルの焼酎を注いで回るようになった。その方がビールよりも安上がりで済むから常連客はみんなボトルを入れている。
瞬も仕方なく焼酎を飲むようになり、今では麦焼酎の「しろ」のボトルをキープしている。樹根には「しろ」の他に少し匂いがきつい芋焼酎の「黒霧島」があるが、残念ながら瓶ビールだけで生ビールは置いていない。
今日は水曜日の平日なのに狭い店内には客が10人以上はいる。見慣れた常連客ばかりだが、一人だけ瞬の好みのタイプの可愛いお爺さんが、カウンター席の隅にちょこんと座っていた。
 一見、素朴で大人しそうな小柄のお爺さんは一人で来たらしい?見慣れない顔だから地方から出て来たお上りさんなのかも知れない。隣の席ならちょっとした会話で関西か東北か?言葉訛り、イントネーションで少しは見分けがつくのだが…。
 更にお爺さんの顔や体つき、手の皺を見れば、職業やそれまで生きて来た彼の人生の歩みの片鱗までもある程度は想像できる?それは瞬が様々なバイトや仕事を経験して、人を見る眼を養って来たからだ。
瞬とチラ、チラと熱い視線が合う。瞬は相手が好きなタイプほど相手を射貫くような強い眼光で見つめるだけで、積極的なアプローチ、アクションを起こすことはまずない。素朴で可愛い理想のタイプほど嫌われたくないから慎重に控えめになってしまうのだ。出会いは大切だが、恋愛は結局のところ縁だと瞬は過去の経験、男性遍歴で考えるようになった。
セックスの行為はタチ、ウケで一方的でも可能だが、恋愛は一方通行では成り立たない。交通事故のような予期せぬ出会いでも、相思相愛でないと決して長続きすることはない。相性が合わないと殆ど一度だけの肉体関係で嫌になってしまうから、実際に寝て交わって見ないと判断出来ないのだ。すぐに友達になり得ても、恋人になるのには一筋縄では行かない事を瞬は身に染みて理解している。
瞬は付き合って別れた男に復縁をせがまれた事も幾度かあったが、一度冷めた関係が再燃することはまずない。従って理想の男を求めて花(穴)から花(穴)へと男遍歴を繰り返す羽目(嵌め)になる。
ノンケの男が女性にするストーカー行為は、動物的な生殖本能によって女性を攻撃する危険な執着心を孕んでいる。ホモが男への執着心が希薄なのは、男がセックスして欲求を満たし果ててしまえば、疲労感と虚しさが先行するからだ。男同士のセックスが生殖行為でなく、子供が出来ない安心感からか?遊び感覚があるのかも知れない?しかし、男同士の同性愛でも愛憎が深く、相手の男に夢中になり過ぎてストーカー行為に走る場合は危険性があり、下手をすると大怪我をする。
瞬も昔、初体験の男に夢中なられ、瞬に私用がありゲイバーでの逢引きの誘いを断ると浮気していると疑われて、男が酒に酔って夜遅く突然に瞬のアパートに来たり、朝、会社に出勤すると職場の前で待ち伏せされたりしたことがある。
当時、彼は50代半ば普通の会社員で奥さんも娘さんもいて決して悪い人ではないのだが、瞬が同性愛の世界を初めて知った時で、まだ若くて初心だから他の男にモテたのでやきもちを焼かれたのだ。今で言うストーカー行為に瞬は恐れをなして、困惑し閉口した記憶がある。彼との交際は結局1年間で破局に終わった。
人間関係は人間という字が表すように人と人との間が大切なのだ。一方的な接近はしつこいと嫌われるし、空気を読めない男とは精神的な交友が出来ないから、肉体関係のみでしか交わりが成立しない。時が経過すれば人間関係の実態が新たに見えて来て解決するから、決して慌てず焦ることはない。
「慌てる乞食は貰いが少ない」とは得てして名言なのだが、あまりにも警戒心が強くて、引っ込み思案で積極性がないと良縁との出会いも少数に限定されてしまう。

「空(から)にしてって、酒も肴も、今日でおしまい、店仕舞、五年ありがとう、楽しかったわ、いろいろお世話になりました、しんみり、しないでよ…ケンさん、新宿駅裏、紅とんぼ、想い出してね…時々は…」
ちあきなおみの昭和歌謡の名曲「紅とんぼ」を初めて見る客が熱唱している。心震わす孤高の歌手、ちあきなおみは今どこで?何をして生きているのだろうか?
新宿のゴールデン街ではなく、新宿二丁目に多い「若専」「売り専」のゲイバーと違い、上野や浅草には「老け専」のゲイバーが多くて、年寄りの同性愛者の楽園、オアシスになっている。上野は他にも「若専」「デブ専」などそれぞれの嗜好にあったゲイバーも点在する。
男だけを愛するこの世界ではチビ、デブ、ハゲがモテる男の格言である。瞬もこのタイプが好きだが、それにもう一つ条件が加わる。それは自分よりもかなりの年上だと言うことだ。いわゆる「老け専」である。好きなタイプでも年下だと何故か?しっくり来ないのだ。
更に顔が可愛いということが第一優先で、チンポの大小は二の次、むしろ小さい方が遊び人らしくなくて?好ましいと思っている。
瞬は二枚目の色男や体格の良い大男、筋肉ムキムキマン、痩せて背の高い人、超デブの人とは肉体的にしっくりしない。背の高い男とのエッチでは、大木にミンミンゼミが止まって鳴いているみたいだし、あまりデブだと抱きしめたいのに両手が届かない(笑い)お尻の過多の肉に阻まれてチンコが届かないで、墓穴(ケツ)を掘るのが関の山で苦労するから嫌いなのだ。何故か?デブの男はチンコが小さくて、瘠せている男はチンコが大きくて長い傾向があると言う?
通常、ホモが性的興奮を得るには、勃起した男性器を見て興奮する。しかし、老人愛の場合、必ずしもそうとは限らない。年寄りの勃たないでしょぼくれたおチンチンでも十分に欲求を満たせるのである。変態的かな?いや勃たない年寄りを満足させるのは変態でなくて大変(変態)なんです?
上野駅構内のトイレや上野公園などの公衆トイレで、自慰行為を見せて男を誘惑する同類がいる。瞬は若い男の勃起した男根には興奮するよりも嫌悪感が湧いて来て、すぐに目を背けて立ち去ってしまう。性的な欲望だけで精神性と知性のかけらもないホモの行為には哀れみしか感じられない。そう言う場所にはお金を脅し取る碌でもないプロがいるから、特に注意しなければならない。
恥ずかしい話だが、瞬も若い時にゲイバーで飲んで酔ってしまい、上野駅のトイレでプロに引っ掛かってお金を要求されて揉み合いになり、ネクタイを引き抜かれた事がある。幸いケガもせずにお金を取られないで済んだのは不幸中の幸いだった。
トイレや映画館のハッテン場には金銭目当てのプロやスリなどの人間の屑がいる。セックスに夢中になっていてバックから現金、カードが入った財布を抜き取られた男が大騒ぎしているのを目撃したことがあるから、細心の注意を払う必要がある。

ホモセクシャルの世界では「老け専」「若専」「デブ専」「売り専」「タチ専」「ウケ専」「誰専」「汚れ専」「桶専」などの聞きなれた隠語がある。他にも「看取り専」「壁専」というあまり聞き慣れない隠語もある。
「誰専」は男なら顔の良し悪しは関係なく、若くても年寄りでもチンコさえ大きい男なら相手を選ばずに誰とでもセックスをするホモのこと。
「汚れ専」は汚い浮浪者が好きで、顔と肉体がタイプなら臭く汚くても我慢して受け入れてセックスすること。
 昔、山谷に近い浅草には浮浪者が沢山いた。土曜日だけ深夜から翌朝まで、時代劇や喜劇などの邦画3本立てを上映するワンコイン(500円)の安い映画館があった。そこはホモたちが多く出入りするハッテン場で、汚い恰好のノンケの浮浪者も宿変わりにしていた。
浅草のゲイバーのマスターがその映画館で、タイプでノンケの浮浪者を引っ掛けて、自宅のマンションに引っ張り込んで風呂に入れ、飯を食わせ酒を呑ませてから遊んだら、二日後、またその浮浪者が仲間を一人連れてマンションにやって来たと言う、笑える面白い話を聞いたことがある。
「桶専」は棺桶に片足を一歩、突っ込んでいるような病的で哀れな老人を愛するホモのこと。
「看取り専」は相方の年寄りが病気になっても、死ぬまで看病して看取るのを厭わないホモのこと。
「壁専」はハッテン場の映画館で前の座席が空いているにも関わらず、後ろの壁に張り付いて男を待つホモのこと。ボケたり、病気で足腰が弱くなり、壁を伝わらなければ歩行出来ない年寄りが好きなホモのことも指すらしい?
番外編としては「外専」と言って、外人が好きなホモもいる。外人と言っても、体の大きい白人よりも体の小柄なアジア系の黄色人種や日本人同士のセックスを好むホモの方が圧倒的に多い。因みに白人は肉食で身体が大きい割にチンコがフニャマラらしい?ホンマかいなぁ〜?
ノーマルな男もホモでタチの男もセックスで精子を放出してしまい疲れ果てれば、すぐにその場を立ち去ろうとする。特別に好きなタイプの男でなければいつまでも痕跡を残さないように退避してしまう。
ウケはアナルセックスばかりせがんで碌にキスもしない。ウケは受けて立たずあまりイクことがないから、性的な興奮が助長されない兆候がある。
女装、女性願望が強いオカマさんなのに美意識が欠如し、化粧しても化けようがないブサイクな男もいる。女装趣味のホモは見た目で気持ち悪がられて拒否される場合が多い。
「オッパイを吸え」だの、「乳を噛め」だのと望みもしない変態的、SMプレイのような注文が多いから、せっかく勃起した息子が萎えてしまい、気分が徐々に白けて嫌になってしまうのだ。
ホモに限らず特に身なりを気にせず、だらしがない年寄りは足の爪が異常に長く伸びていることがある。悲しいかな年寄りはビアフラの飢えて痩せた子供のように下っ腹が出て、腰が曲がらないから、足の爪が一人では切れないのだ。
人は死ぬまで自分の短い人生、一生の中で、真摯に愛する男とめぐり逢う機会は少ない。瞬も気が付けばもう70代の壁を越えた昭和レトロの立派な?高齢者になってしまったと悲観的に考えている。 
還暦を迎えた自分が、赤いちゃん、ちゃんこを着る年になったのか?と驚愕したのが、つい昨日のようで、現在73歳という自分の年齢がとても信じられない。気分はまだ60代から抜け切らず、還暦を過ぎてから赤い系統の派手な服を着るのには何となく妙な抵抗感がある。
昭和、平成、令和の時代を生きて来て、昭和生まれの自分が昭和レトロ、生きる骨董品?に成り下がり、もう生い先が短いなんて考えただけでゾッとする。
世代に例えると令和が息子、平成が父親、昭和が祖父だと考えれば、瞬は祖父、老いた爺さんそのものである。爺さんになると若かりし頃と違い激しい性的衝動、息子の勢いも萎えて来る。男同志のセックスから快楽を得たいと言う強い願望があるが、身体が言うことを効かないから、精神的な安全運転を心掛けるようになってしまった。
それは瞬がいつの間にか?年取ったせい、肉体の衰えと性的欲望の減退のせいかも知れないと、最近つくづく実感しているが、もし仮に90歳まで生きられたとしても、同性愛の男の運転免許証返納だけは死ぬまであり得ないと考えている。
「貧しさに負けた、いえ世間に負けた、この街も追われた、いっそきれいに死のうか、力の限り、生きたから、未練などないわ、花さえも咲かぬ、二人は枯れすすき…」
 さくらと一郎の「昭和枯れすすき」をいつも3人でつるんで飲みに来る客で、一番年配のお爺さんとその相方がデュエットして歌っている。
年長で瘠せたお爺さんと隣の腹がぷっくり飛び出たお爺さんがカップルで、太ったお爺さんは浅草のゲイバーのマスターで通称、丸さん(丸山さん)と呼ばれている。
3人目の小太りで一番可愛い顔の年配者は、その店の常連客らしい?丸さんが長年経営している浅草の小さなホモバーは水曜日が定休日だから、毎週のように3人で樹根に飲みに来ている。
「いつも3Pでよく疲れませんね」と瞬は冗談を言って丸さんを揶揄っている。

瞬は結婚せずに長い間、独身生活を送って来た。昭和の戦後復興、日本は高度経済成長期へ突入して、昭和生まれ「団塊の世代」は高市早苗総理大臣ではないが「働いて、働いて、働いて、働き抜いて」生きて来て、三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)を得るという慎ましくも幸せな家庭生活を夢見た。
戦後、力道山がアメリカ人レスラーを空手チョップで倒すのに狂喜し、東京五輪のマラソン大会では、円谷幸吉の激走に拍手喝采して声援を送ったのだった。
円谷幸吉は二位で国立競技場に戻ってきたが、抜かれて三位の銅メダルに…。
4年後のメキシコオリンピックで金メダルを目指すが、腰の持病が悪化。椎間板ヘルニアとアキレスけんの手術を受けたが復調がかなわなかった。
「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。幸吉は父母上様のそばで暮らしとうございました」と言う遺書を残して、両刃のカミソリで頸動脈を切って自殺した。
父と母のそばで暮らしたいと言う幸吉の悲痛な願いを思うと、高校を卒業後、東京に就職して田舎にリターンせずに両親と一緒に暮らせなかった瞬は、思わず目頭が熱くなり涙があふれ出た。
瞬も幸吉のように椎間板ヘルニアと狭窄症で腰痛が悪化し、腰の手術を経験した境遇が似ているので、尚更、感慨深い気持ちになった。
戦後は「生めや、増やせや」と沢山の子供を作るのが称賛されたベビーブームで、男は結婚して家庭を持ち家族を守る。それが「当たり前田のクラッカー」だった。
瞬の生まれ育った新潟県の山奥の田舎では、結婚して家庭を持つのは昔からごく普通で当たり前の考え方、一般常識だった。常識から外れた男は変人あるいはどこかしら肉体的な欠陥?があるとみなされた。
瞬も若い頃は何度か男と女の恋愛感情、肉体関係の経験もあった。結婚という仕来りに囚われ戸惑い、両親を安心させるためにと結婚を考えたことも幾度かあったが、20代初めの頃、バイト先で知り合った身寄りのない女性との一方的な片思い初恋が上手くいかないで、結婚に対して臆病な気持ちになってしまった。
「若きウェ―テルの悩み」のように失恋の痛手がずっと尾を引いて苦しんでいた。
そんな時に何気なく知らずに入った上野の地下にあった日活ポルノ映画館が、同性愛者の溜まり場、ハッテン場だった。それまでホモセクシャルの世界を全く知らなかった瞬が、失恋の痛手、苦悩から逃れるように同性愛の世界に足を踏み込み、ドツボにハマり溺れてしまったのは偶然と言うよりも必然的なものであり、男の世界の洗礼を受け、入信するのに?大して長い時間を要しなかった。
今にして思えば、中学校の美術の男の先生に想いを寄せたりしていたので、元々、同性愛的な資質はあったのだと思う。それが地方、田舎での閉鎖的な生活環境の中に密かに埋もれて芽吹かなかっただけの話である。
田舎育ちで子供の頃から女が好きでないのに親の言いなりで結婚して、子供二人を設けた男が家族との閉塞感から家庭を顧みずにパチンコや競馬、ギャンブル、更に男に夢中になってしまった。
自業自得、気付けば奥さんと子供に逃げられ離婚されて、年老いてからも子供や孫の顔も見られないと言う実例もある。
「そりゃ死ぬほど、恋しくて、とんで行きたい、俺だけど、秋田へ帰る、汽車賃が、あれば一月、生きられる、だからよだからよ、帰れないんだよ…」
この男がちあきなおみの「帰れないんだよ」を聞いたら、どんな思いが胸に去来するのだろうか?
瞬も男女関係には精神的に一定の距離を置いてしまい縁が薄くなった。結婚したいと女性から迫られた事もあったが、女性に対して同性愛者だという負い目、罪の意識の気持ちが強くて、結局、結婚という敷居を跨げなかった。
今、自分が年老いて人生を考える時、独り身が少し寂しい気もしない訳ではないが、結婚しないで家族を持たないから束縛されず、自分の人生を自由奔放に生きて来られて良かったと心底から思っている。
人それぞれ人生、生き方が違うが、苦悩が人を少なからず成長させることを数知れない実体験で瞬は学ぶ事が出来た。
「愛は愛とて何になる、男一郎、まこととて、幸子の幸は何処にある、男一郎ままよとて、昭和余年は春も宵、桜吹雪けば情も舞う…」
あがた森魚の「赤色エレジー」をサーさん(佐竹さん)と呼ばれている90歳近いお爺さんが、切なく悲しい感情を込めて歌っている。サーさんは長年連れそった奥さんを40年ほど前に乳ガンで亡くした。子供が出来なかったので、ずっと独り暮らしをして居る。
「さみしかったわどうしたの、おかあさまのゆめみたね、おふとんもひとつほしいよね、いえいえこうしていられたら、あなたの口からさよならは、言えないことと想ってた、はだか電燈舞踏会、おどりし日々は走馬灯、幸子の幸は何処にある…」
大正浪漫を感じるこの歌を哀愁込めて歌いこなすには、それなりの年齢を重ねた月日と人生経験による焦燥感、孤独感がないと歌詞の味が滲み出て来ない。
「愛は愛とて何になる、男一郎まこととて、幸子の幸は何処にある、男一郎ままよとて、幸子と一郎の物語、お泪頂戴ありがとう」
サーさんが歌い終わると客席から拍手が徐々に沸いてきた。

瞬は亡くなった両親に孫の顔を見せられなくて申し訳なかったと思うけれど、人生を自分なりに精一杯努力して生きて来て、社会的な地位も名誉も何一つ得られなかったが、誰にも迷惑を掛けずに地道に生きて来たから両親も許容してくれると思う。
短い人生だから生きている今を大事に、死んだ後は「野となれ山となれ、灰になれ」と、独り身なので無責任かも知れないけれど、人生の終わり方と断捨離も出来るだけ何も考えないようにして暮らしている。
親、兄弟が亡くなり、脳梗塞で倒れ、歩くことも話すことも不自由な長男の家族とは父親の遺産相続で揉めてから、遺産を全て放棄して縁を切った。両親の墓参り以外には、もう故郷の新潟に帰郷することもない、田舎の親戚とも両親が死んでからは縁遠くなってしまった…。あれだけ親しくて仲の良かった従姉妹たちとも音信不通で、長い年月が過ぎ去ってしまいもう判らない。
瞬は高校を卒業してから東京の会社に就職した。兄弟でただ一人、長年親元を離れたからある意味で親不幸だったかも知れない。太平洋戦争でソロモン諸島の激戦区から奇跡的に生還した後、一生懸命に働いて子供たちを育ててくれた大正2年生まれの口数が少ない父親、やはり大正9年生まれで末っ子を一番愛してくれた母親には親孝行が出来なかった心残りがある。88歳で死んだ父、97歳亡くなった母が今生きていれば113歳と106歳になっている。瞬がいつの間にか73歳になってしまったのも納得できる。
末っ子の瞬は長男ではないので、親と一緒の墓には入れない。せめて死んだら両親と一緒の墓に入りたいと思うがそれは叶わない。独身だから墓を買っても、管理してくれる子供もいない。日本の現代社会では今、墓じまいと言う現象が進んでいる。
田舎の山沿いにあるみすぼらしい小さな苔むした無縁仏の墓に入るのも寂しいし、今流行りの樹木葬や海洋の青く美しい海原に散骨するのもお金が掛かるし、頼む人にも苦慮している。いっそ自宅近くの利根川にでもこっそりと遺骨をばら撒いて欲しいと常日頃から思っている。
「桜の木の下には死体が埋まっている」
「樹木葬は日本人ならやっぱり桜の木の下がいいなぁ〜」と瞬は思う。そうすれば年に一度、染井吉野の桜が開花する時に自分と言う存在を少しは思い出してくれる人が一人くらいは居るかも知れないから…。

恋人であり最愛のパートナーだった伊吹春吉、通称、大工の春さんが7年前にコロナで死んだ時は本当に辛かった。両親が死んだ時以上に涙が溢れて止まらず、精神的にも干からびた乾物状態だった。
当時、コロナがまだ得体の知れない強力な謎のウイルスで、世界中が恐怖のどん底状態にあった。初期段階では有効な治療法もまだ開発されていなくて、日本で初めて社会的な自粛が強要された。
お笑い芸人の志村けんさんが死んだのと同じ初期に春さんも死んでしまった。今なら、コロナに掛かっても生存率が高いから悔やまれてならない。因みに今、新型コロナウイルスの感染者数は1医療機関あたり1.07人で減少していると言う。
心の空き家状態から抜け出て、半分引きこもり状態の日常生活から脱出するのに、2年以上もの月日を費やした。春さんとは性的な関係以上の信頼関係で結ばれていたから、思い出すたびに涙がこぼれて来て、今でも決して忘れることが出来ない。財布の中には春さんの小さな写真を忍ばせている…。
「あなたの声を電話で聞いただけで、その日一日、こころがなごむ。理屈じゃあねんだよなあ」相田みつお、おかげさん「声」
もしかしたら春さんから、突然、電話が掛かって来て声が聞けるかも知れないという思いと想い出を消したくないから、瞬の携帯電話には春さんの携帯番号が、7年過ぎても消せないで残っている。

「髪のみだれに手をやれば、赤い蹴出(けだし)が風に舞う、憎や恋しや塩屋の岬、
投げて届かぬ、想いの糸が、胸にからんで、涙をしぼる…」
ひばりちゃんと呼ばれている82歳の無精ひげを生やした常連さんが、美空ひばりに成りきって「みだれ髪」を裏声の高音で熱唱している。
彼の顔はそれなりに男受けするタイプなのに会話の言葉がオネエ過ぎて?超ベテランのオカマさんだと敬遠されてしまうから中々、特定の男が出来ないのである。
ひばりちゃんはそんな自分の状況を把握して開き直っているから、言葉がどんどんオネエ化して、何か気に障る言葉を言われると「オダマリ!」と言う返答が即座に跳ね返って来るのである。
上野のいわゆる老け専ゲイバーでかかる曲はほとんどが演歌で、皆さん相当月謝(飲み代)を支払っているみたいで、かなり上手に歌い込んでいる。たまに演歌以外の英語の曲を歌う客もいるが、上手いと思って自己満足しているのは本人だけで、拍手があっても実は英語とは無縁の年寄りにはそれ程ウケていないのである。
カラオケが楽しみで好きな演歌歌手の歌や新人歌手の新曲をYouTubeで見て練習し、ホモスナックで披露するのが楽しみな客もいる。
2〜3曲馴染みの演歌が続き、唄い終わって少し間が開いたので、ひばりちゃんがカラオケ選曲リモコンで、三沢あけみの「明日はお立ちか」を選曲してリクエストした。
「明日(朝)はお立ちか、お名残り惜しや、なまじ遭わねば、泣くまいに、心と心、つないだ糸は、なんで切れましょ、切れやせぬ…」
最初の出だしを「朝はお立ちか」の替え歌に変えているが、裏声のひばりちゃんは上手い。瞬は以前、ひばりちゃんに口説かれたことがあるが、やっぱりオネエさんと付き合うには世間体を考慮すると気が引けるので遠慮した。
ゲイバーの店は新橋にも数軒あるが、上野、浅草界隈に多く存在している。上野は駅の側か、少し離れた裏通りの一角に集中しているから、一軒だけではもの足りないで、好みのタイプと出会えない時に他の店をハシゴするにはうってつけなのだ。
特に上野はかなり酔っても駅が近くて交通の便が良いから、最終便に千鳥足でも間に合うので人気があるのだ。だが深酒して転倒し、救急車のお世話になった老人も結構いると言う話だ。

はしご酒を繰り返し、泥酔して最終便に間に合わなくても、ホモセクシャルの男たち専門のサウナや連れ込み宿も上野に数件ある。山手線で駒込駅まで行けば「温泉天国・老人館」という老け専に人気の低料金で泊まれる簡易旅館もある。 
浅草も上野も昔からの古いお店がなくなり、以前のような賑わいが薄れゲイバーも変化している。老け専の店の老マスターが亡くなり、相方の恋人が後を引き継ぎ同じ店名で営業を続けていければまだ良いが、コロナの影響で閉店した店も数軒ある。
常連客だった年寄りも病気や老衰で随分死んでしまった。すべて自然の摂理、時代の流れなのだが、ホモセクシャルの世界は決して壊滅しないし、むしろ時代の変化やフェースブックなどのSNS普及によって、より表面化し易い環境と時代になった。
フェースブックで自分の個人情報を公表せず、猫や犬の写真を使って友達申請して来るケースが多いが、どこの馬の骨とも解らない人や猫と犬と友達になることは不可能なことだ。望みもしない整形美人?たちに詐欺などで引っかかる危険性や乗っ取り、デマがあるから細心の注意を払う必要がある。
テレビでもホモセクシャルに対する世間の差別と偏見に対峙して闘った偉大な先駆者の美輪明宏さんやカルーセル麻紀の昭和の時代ではなくて、今は、IKKOさんやマツコ・デラックスのようないわゆるオネエやオカマと称するマルチタレントの活躍が目立つ平成から令和の時代に変わってしまった。
「どんだけ〜」
「背負い投げ〜」
IKKOさんやマツコは「どんだけ?」稼いでいるのだろうか?おそらく「背負い投げ」をしたくなるような巨額な金額だろう。
「今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけど、
そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ…」
中島みゆきの「時代」の歌詞のように、そう時代は目まぐるしく回って変化してゆくのだ。
「まわるまわるよ時代は回る、喜び悲しみくり返し、今日は別れた恋人たちも、生まれ変わってめぐり逢うよ…」
「歌は世につれ、世は歌につれ」
世相も歌の流行によって感化され変化していく。歌もご時世の影響を受けて変化して、人々の心の中、記憶の片隅に残されて行く…。

「シュンちゃん、ジャニー喜田川の性加害問題で世間がうるさいね」と隣に座った顔なじみの年配、北さんから話かけられる。
北さんは70歳後半か?年寄りの中にはうかつに年を聞くと自己防衛本能、警戒心からか機嫌を損なう小心者の輩がいるから要注意なのだ。
いつもスーツ姿でどちらかと言えば二枚目の北さんは至って真面目なサラリーマン金太郎風で、上野より中年のサラリーマン客が多い新橋のホモバーの方が似合っている。
「ジャニー喜田川の件で大騒ぎしているけど、それは以前からあったこと。昔、北公次が告発した事が噂の真相や週刊誌の記事に載っていたよ」
「週刊誌の記事もそうだけど、SNSやインターネットに何でも載る時代だから怖いよ。AIの進化で性的ディープフェイクも恐いね」
「インターネットで事実無根のデマや誹謗中傷が拡散されて、取り返しのつかない事になってしまう」
「ジャニーズ事務所も保証金で大変だろうね」
「俺は少年期にジャニーさんにスカウトされなくて良かったよ。もしスカウトされたら、逆にジャニーさんを犯してやったかも知れないからな?」
タチの瞬がそう言うとマスターや客が腹を抱えて笑う。
「スカウトなんて何、寝言を言っているの?そんなこと絶対に有り得ないから。鏡を見てから言ってよね」と髭が濃く毛深いオネエさんの立ちゃん(立花さん)が言う。
「立ちゃんにだけは言われたくないね。今は白髪交じりで髪の毛も薄くなって後退しだジジイだけど、これでも若い時は可愛くてモテモテだったんだから」
両隣のカウンター席から失笑の渦が湧きあがる。さらに酔った客のどなるようなカラオケの歌声で室内の賑わいと騒然さが増していく。
老人愛が専門の瞬は昔のジャニーズジュニアや今人気のアイドルグループ歌手の若い男の子には全然興味が沸かないし知らない。彼らはまだ青臭く未熟で、剥いたゆで卵のようにつるんとした顔立ちなので、どれもこれもみんな同じに見えてしまう。年輪のように皺を刻んだ渋い顔の円熟した年寄りが好みの瞬には物足りない顔なのだ。
昨今、知らないグループや若い歌手の出場が多いNHKの紅白歌合戦はもう30年以上も見ていないので、受信料も払った事がない。
「NHKをぶっ壊せ」なんてほざいているアブナイ男も政界にいるようだが…。
瞬は勿論、ナボコフの「ロリータ」のようなロリコン、少女趣味があるわけがない。
同性愛では幼い幼児嗜好のホモのことを小児科と言う。小児科は性的に虐待行為を及ぼす危険性を含むからヤバいと思う。
昭和63年に起きた埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤のような異常性愛は当時、新聞や週刊誌などのマスコミの恰好な話題だった。ちなみに宮崎勤はチンチンが大きく見えるようにとチン毛を剃っていたらしい?
老人愛も異常と言えば異常な倒錯的心理だと言えるかも知れないが、まだ未成年が相手の性行為でないだけ、性犯罪者になる可能性が低いから老人愛は救われる。しかし、ボケ老人の合意を得ても家族がいたら、家族の批難中傷が怖いからうかつに手を出せない。安心出来ないから注意するに越したことはないのだ。
瞬が30代の頃、関根さんと言う72歳のお爺さんと知り合い10年間お付き合いした事がある。お爺さんは小学校の教員をしていたが定年で退職、奥さんを胃癌で亡くして、長男夫婦と孫二人で同居していた。週一回程度、東京の瞬のアパートで逢引きを重ねるとても良好な関係だったが、82歳でお爺さんのボケが始まった。
 当時、「薔薇族」と言うゲイ雑誌を時々、購入して愛読していたお爺さんはトイレの中で読んでいて、電話だと家族に呼ばれて慌てて出てしまい、ゲイ雑誌をトイレ内に置き忘れてしまった。
 中学生の孫娘が雑誌を見つけて親に見せたので、息子夫婦からたいそう怒られてしまったと言う。
「子供たちに悪影響を及ぼすから、そんな如何わしい本は全部捨ててしまいなさい」と言われた。
「わかった。捨てるからせめて一冊だけは残して置いて欲しい」と懇願したと言う(笑)
 ある朝、瞬の携帯に関根さんからの電話が鳴った。携帯に出ると瞬のアパートへの道順が分からず、まだ駅の近くに居ると言う。お爺さんは10年間も通い慣れた道を忘れてしまったのだ。瞬はお爺さんを駅まで迎えに行き、難なくことを得た。
それから数日が過ぎて、関根さんからの携帯が鳴り、電話に出ると息子さんからだった。
「父は認知症で外出出来ないから、もう会わないで下さい」と息子さんから言われて、仕方なく、泣く泣く身を引いたことがある。
 数年後、瞬は埼玉県の羽生市にあるお爺ちゃんの家の近くを偶々車で通ったので、畑仕事をしていた近所のおばさんに元彼の動向を尋ねた。
「お爺ちゃんは家からは外出することもなく、時々庭の草取りをしている姿を見かけるから元気です」と言う話を聞けてホッとした。お爺さんはその後、認知症以外に特別な病気を患うこともなく90歳過ぎまで生きたらしい…?
老人愛は年寄りへの哀愁、郷愁、悲哀のような深層心理が根付いている。従って少年愛などの同性愛とは全く異なったもので相まみえることはない。老人愛は老人(弱者)へのいたわりの気持ちや熟した挙句に朽ちてゆく果実のような老衰に対する悲壮感とお風呂場でのヒートショックなどで、いつ倒れて死ぬか判らない死に対する恐怖心と隣り合わせなのだ。死には至らなかったが、高齢者がスーパー銭湯などで具合が悪くなり救急車で運ばれた事例に瞬も何度か遭遇している。
瞬は幼少時、母親と一緒にお風呂に入ったあと風呂の栓を抜き、水が抜けて最後に発生する水が吸い込まれる時の強烈な異音に異常な恐怖心を抱いたことがある。それこそが喪失感に対する不安と死への恐れに共通する感覚、意識であった。
今は開発が進み、住宅街へと変貌したが、当時の田舎の火葬場は田んぼの中の鬱蒼とした雑木林の木々の茂みに囲われた暗い場所にあった。村で亡くなった人の火葬はカラスがカァ〜、カァ〜と鳴く少し気味の悪い葬礼場で行われていた。
カラスはタヌキなど車に弾かれた死骸のお掃除屋さんで、不吉な鳥のイメージが強い。二つ年上の従兄弟がバイクで列車と正面衝突して即死した時に何故か?カラスの群れが電線に止まっていたので、子供の頃からカラスを見ると何か不幸が起きそうな不吉な予感、不安に慄いていた。
幼児の瞬が母親の背中に緒んぶされて、木組みの上に乗せられた白木の棺の窓から老人の蒼白な死に顔を見せられた記憶が生々しく蘇って来る。その喪失感と悲壮感が今でも老人愛に対する布石となっている。
老人愛嗜好者が年老いて自己より年上の性的対象者が居なくなった場合には、性的、肉体的な満足感を得るために仕方なく高齢者から少しだけ年齢の若い男へと対象を移行せざるを得ない状況に陥る。
さらに高年齢による勃起不全からウケに転向する年寄りも多いと言う。おチンチンは歳取ってたまにしか使わないと益々、退化し縮小してしまい、オシッコをする時にズボンの中から手探りで引っ張り出すのに一苦労する。(笑)
男性器の膨張力を保持するためにチンチンの根本にリングやゴム器具を嵌める年寄りがいるが、滑稽で哀れに思うから、瞬はそれだけで身を引いてしまう。
バイセクシャル(両性愛者)は異常性愛者ではない。性の嗜好の問題で、例えれば黄色いミカンが好きか?赤いリンゴが好きか?単に個々の好みの相違なのである。
バナナが好きか?ハマグリが好きか?みたいなもので決して同性愛を恥じる事はないと瞬は苦悩の果てにそう思うようになった。
瞬の性的嗜好は老人の白髪やぷっくりしたお腹のへそ回りの柔らかい肉、無毛でつるつるした肌の感触などにフェティシズム、異常な愛着心を感じる。
お風呂に入り、鏡に映る自分の裸体を見ると、ぷっくり膨らんだビール腹、年相応の顔に刻まれた皺の数々、肉体の酷使と人生の積み重ねで疲れた表情の自分がそこに居た。皮肉にもそれこそが瞬が若い時に思い描いた好きなタイプの年寄り像と合致していて、ナルシシズムの欠片もない老体の姿にあぜんとした…。
 同性愛者のセックスにおける究極の快感はアナルセックスで、タチかウケかは性的快楽を得るための個々の嗜好的な単なる役割分担、願望に過ぎない?おチンチンを挿入する先の穴が男と女で違うだけで、異常で?攻撃的な性行為だからこそ究極のエロチシズムによる性的な快楽が獲得出来るのだ。
動物が子孫はんえいのために行う自然の交尾や排せつ行為と同じメカニズムで、なんら変わりがない本能、生殖行動?だから、個々で選択の自由が確保出来るのである。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないが、初めて肛門に男性器を装入する時は痛みを伴うが、慣れると苦痛が快感に変わり癖になるらしい?お尻を綺麗に洗って、ぺぺなどのオイルや潤滑油を用意して置くのがウケのマナーである。
エイズ流行時の影響でお尻を使うとエイズになって墓穴(ケツ)を掘るのが怖いからと生のセックスでなくゴム製品 (避妊具) をハメたり、男同士の素股(スマタ)でイク人もいるが、そんな子供騙しでは究極的な快楽が得られるとは到底思えない。
両刀使いの強者は純粋なホモではなくて?精力絶倫の有り余った性欲処理のためにうっ血した刀(亀頭)を振り回している場合が多い。
稲垣足穂の「少年愛の美学」にA感覚とV感覚について、哲学的な見解が詳細に書かれていたが、50年も前に読んだので、内容は全て忘れてしまった。

カウンター左側の酔って赤い顔に染まったブサイクな男と福島県から来たどう見ても田舎の農家の芋兄ちゃん、モテそうもない侮男が意気投合して携帯番号のやり取りをしている。
福島の男は自宅が15年前の東北大地震で多大な被害に遭った福島原発の被災地の浪江町にあり、放射能汚染が酷くて今も帰還困難区域になっている。
福島市内の仮設住宅に移住し、避難生活をしていてかなりの保証金が舞い込んだ。そのお金で週一回、東京に遊びに来て、男漁りをしているらしい。
「へぇ〜、デキたんだ」と常連客が嫉妬と軽蔑の入り混じった悔しい思いで揶揄する。
「昆虫と爬虫類がデキる訳ないでしょう」と立ちゃんが鋭いツッコミをする。
「あの二人、どっちがウケかな?」
「見れば判るでしょう。爬虫類が昆虫を喰うに決まっているのよ」
「愛は痛みを伴い、痔という漢字はアイと読むのです」爆笑……。
「何を訳の解らないことを喋っているんだよ?」
酒の酔いに任せて,くだらない会話といつもの聞き慣れたカラオケの歌が続いて、ざわついた店内は酒臭い空気が充満している…。
「うまれた時が、悪いのか、それとも俺が、悪いのか、何もしないで、生きてゆくなら、それはたやすいことだけど…」
 天地茂の「昭和ブルース」を常連のカップルで80歳過ぎた年配の方が歌っている。いつも他の店で飲んで来るから、かなり酔っぱらっていて会話がしどろもどろ状態である。
相方の若い男は目付きが悪い在日中国人で、演歌を何曲も続けて大声で歌う。歌い終わるとみんなが拍手をしてしまうから、男は褒められて上手いと勘違いして、更に大きな声で歌い続けるのだ。
瞬は他の人などお構いなく歌いまくる、中国人の狐目の男が、気色が悪く感じられて嫌いだ。このカップルは他人に対しての気使いが全くなく、品位を微塵も感じないから、どうしても好きにはなれない。聞いた話だと日本人の酔っ払い爺さんと中国人の狐目男は、樹根で知り合いデキたらしい。
時々、素敵な重役タイプの紳士に何一つ魅力のない頭の悪そうな碌でもない男が引っ付いているのを見かける。何であんな男が?と不思議に思うことがあるが、肉体の悪魔に囚われセックス的に合致したラブカップルなので、ある意味では適材適所なのかも知れない?
ホモやレズの同性愛者は好き好んで男や女の同性を好きになるように生まれて来た訳ではない。トランスジェンダー(性同一性障害者)然り、人は皆、人生の宿命、苦悩を背負って生まれて生きている。日本では同性愛が社会的にまだまだ認識不足で理解度も低く世間の偏見と差別が強いから、カミングアウトが難しい状況で、ありのままで生きることが困難なのである。
「降り始めた雪は、足跡消して、真っ白な世界に、ひとりのわたし、風が心にささやくの、このままじゃ、ダメなんだと…、
とまどい、傷つき、誰にも、打ち明けず、悩んでた、それももう、やめよう…、
ありのままの、姿見せるのよ、ありのままの、自分になるの、何も怖くはない、風よ吹け、少しも寒くないわ…」
レット・イット・ゴー〜、ありのままで〜
「アナと雪の女王」は映画も歌も大ヒットした。
世間から異常者と思われている同性愛者は、数少ない選ばれた者たちかも知れない。
「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか、みんな悩んで大きくなった、大きいわぁ〜大物よ、俺もおまえも大物だ…」
作家、野坂昭如さんが歌って踊る「サントリーゴールド900」の昭和レトロのコマーシャルソングが懐かしい…。
「男と女のあいだには、深くて暗い、河がある、誰も渡れぬ、河なれど、エンヤコラ今夜も、舟を出す、Row and Row、Row and Row、振り返るなRow−Row…」
「黒の舟歌」は長谷川きよしや加藤登紀子が唄うが、瞬は野坂昭如が歌うバージョンが好きだ。男と女の間には、深くて暗い河があるが、男と男の間にはより深くて暗い、抑圧され濁った河が流れている…。
映画監督の大島渚と殴り合いのケンカした野坂昭如さんも死んでしまい、名作「火垂るの墓」が遺された。
世界の偉人たちには同性愛者が多い。同性愛者として選ばれし者?が欲望に溺れてしまうか、芸術などの分野において特殊な能力を発揮するかどうかは、個人の才能と資質、強い意志と環境次第で決まるが、誰でもレオナルド・ダヴィンチになれる訳ではない。
人それぞれ心が違い、個性が違うように、才能を発揮出来る状況も、環境も違うから、幸せの概念もまた人それぞれ違うのである。
知的レベルの低い男たちの大半が「欲望という名の電車」に飛び乗り、無中で肉欲をむさぼっている間に落下して轢かれる危険性がある。日陰で暗くつまらない人生を送っても、自分の人生は自分のせいで誰のせいでもない。
限定された男の世界、密室の中で性欲に駆られて快楽に溺れるのもまた悪くないし、人間、物事をあまり深く深刻に考えないで生きた方が案外、幸せなのかも知れない。ただし性病に罹らなければの話だが…。
性病と言えば最近、エイズのことを全然騒がずもう死語?になってしまった。
エイズ(AIDS:後天性免疫不全症候群)はヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染することによって免疫の機能が著しく低下し、感染症やガンを併発する不治の病と言われ恐れられた。
当時、エイズはホモセクシャルだけが罹る不治の病であるという偏見で、ホモたちが肩身の狭い思いと恐怖心に囚われたのだ。ヘース・キリングなど有名なアーテストたちがエイズで死んでしまった。
エイズは天然痘のように本当にもう過去の病なのか?投薬治療で免疫力が抑制で出来ても完治しないと言う。現在、マスコミが詳しい情報を発信しないから解らないのだ。梅毒や淋病は性病としての認知度があるが、エイズは平成や令和生まれの人には知らない人もいるのだろうか?
コロナもウイルスによる人類滅亡の危機か?などと大騒ぎし恐怖した初期に比べたら今は単なる風邪のような扱いだ。2023年5月にインフルエンザと同じ5種感染症に分類されてからはワクチンを打つ人も少ない。無料だったワクチン代も今は1万円もかかるらしい。
イスラエルとアメリカによるイランに対する空爆戦争で、ガソリン価格が急騰した。ガスや電気代の値上げ、食料品などの物価高で苦しむ庶民が、今更コロナの予防注射を打つ訳がない。

「好きでお酒を飲んじゃあいないわ、家にひとり帰る時がこわい私よ、あのドアを開けてみたって、あなたはいない、暗い闇が私を待ってるだけよ…」
江利チエミの「酒場にて」を昆ちゃんと言う芸人の大村崑さん似の黒縁メガネをかけチョビ髭を生やした瘠せた爺さんが、音程の外れた渋いガラガラ声で歌っている。
瞬は昆ちゃんが全然タイプではないが、下手くそな歌を一生懸命に歌っている姿に好感が持てるので拍手した。
歌唱力がない癖に歌が上手く自分がモテる色男と勘違いしている上から目線の年寄りには、例え顔や体がタイプでも瞬は拍手をしたことがない。
ゲイバーでは客が歌い終わると、拍手をしなければならない雰囲気、風潮がある。そんな時、瞬は焼酎の入ったグラスを口に当ててお酒を飲んでいるふりをしてやり過ごすことにしている。
飲み屋でカラオケがこんなにも流行っているのは、一般的な庶民が自己自慢と自己陶酔に酔いしれてスター気分、歌手になれたような誤解、錯覚に陥ることが出来るからだ。
YouTubeなどに一張羅の派手なスーツを着てオシャレして、個人で歌っている動画の何と多いことだろう…。カラオケは人生における生きる糧、潤滑油となっているのかも知れない…。
昭和の偉大な評論家、大宅壮一さんならさしずめ「一億総歌手化」とでも言うのかな?と瞬は思う。
樹根はカラオケ1曲の値段が安い。以前は無料だったので、いつまでも居座る客でいつも満員御礼だった。さすがにコロナの影響をもろに受けて一時、客数が減少したので5曲目から100円になった。焼酎1本、4,000円をキープすれば、1,900円に100円の2,000円で済むから繁盛しているのだ。お客さんが沢山来れば良い店と評判となり、客が客を呼ぶことになり繁盛するのだ。
お通しの料理やつまみの乾き物もちゃんとしているし、チョコレートなどのお菓子類の補充もちゃんとしている。それに樹根はマスターと店員の客への対応が行き届いているのも、人気店の要因である。
 上野の小便横丁の中の何軒か?流行らない店もある。それはマスターがどの客にも平等に親しく対応せずに、自分の好みの男客だけを優先し、露骨に愛想よく接客するから客がドン引きしてしまうのだ。
また店のマスターや従業員が可愛いとその人を目当てに店に通い、お金をつぎ込むことはよくある話だ。マスターがそれを良いことに客を利用しても、結局はお金目当ての下心が透けて見えてしまい流行らない店に成り下がってしまうのだ。
「人を愛して、人は心ひらき、傷ついて、すきま風知るだろう、いいさそれでも、生きていれば、いつか、やさしさにめぐりあえる…」
杉良太郎に似ても似つかないのに、杉山と言う苗字なので、杉さんと呼ばれているお金持ちのお爺さんが、持ち歌の18番「すきま風」を得意気に歌っている。
ちなみに歌手の杉良太郎さんは北陸大震災などいろんな震災被災地で、炊き出しなどの被災者支援、ボランティア活動を率先して行っている。
 全国各地でのボランティア活動や行方不明児童の発見で有名なおじさん、スーパーボランティア尾畑春夫さんは瞬の大好きなタイプで、無償のボランティア活動には尊敬の念を抱いている。
「その朝、おまえは、小鳥のように、胸に抱かれて、眠ればいい…」
杉さんはお金持ちだけあって時々、高価な日本酒「黒龍」や3万円以上もするウイスキー「響」をお客さん達に振る舞いご馳走してくれる。
気前が良く男前なのに彼のプライドと気難しさがネックになっているのか?何故か?モテないでいつも一人で来店する。彼がカップルで来たのをあまり見たことがない。ひょっとして彼氏がいて、お忍びで来ているのかも知れないが…。5万円もする高級なブランデーはさすがに恋人にしか奢らないだろう。
瞬はそんなに高いウイスキーや日本酒より、新潟の地酒や海外にも人気でさっぱりとして飲み易い「獺祭」の方が好きなのだが…。

昔は夜遅くまで営業していたゲイバーもコロナ流行以後、早く始めて早い時間に店じまいする店が多くなった。華金(週末、羽を伸ばして遊ぶ華の金曜日)も死語になった。
殆どの同類が交際相手を求めて2〜3軒ハシゴするのが通常で、酔い過ぎて帰宅するのが面倒になり、そのまま山手線に乗り駒込駅近くのホモホテル「温泉天国・老人館」に直行し、大部屋の暗闇で好みの男、セックスの相手を探して、マツタケ狩り?の乱交パーテイに加わってしまうのだ……。
「温泉天国・老人館」では月一回、15日の敬老の日には、65歳以上の年寄りを割り引くシステムがあり、通常料金から1.000円引き、次回の来館500円割引券が貰えるので大盛況である。
老人館は24時間営業で掃除や消毒など衛生管理もしっかりと行われており、受付で言えば無料でコンド―ムが貰えるので安心感がある。館内は様々な年寄りで溢れ、2階のお風呂場の二つあるジャグジー風呂の湯舟に浸かる男たちの裸体は泥付きのジャガイモ洗いの様相を帯びている。
サウナ室では男同士が頬寄せ合って乳繰り合っているし、狭いスチームサウナはむせるような熱気に包まれて、満杯で座れない男同士が抱き合って、必死に右手を動かし合って立ち続けている。
3階の薄いせんべい布団が敷き詰められた暗い大部屋では、うつ伏せになり背中とお尻を向けた丸太(肉体)が横たわっている。何もせずただ肉棒を入れて欲しいとタチの男を待つウケのことを冷凍マグロと呼び、解凍、解体作業が大変で重労働なのだ。
奥の部屋の中二階スペースの淵に寄りかかり、お尻を出してアナルセックスを切望する男。薄い壁を背に目を凝らして男を物色する男。尺八専門でチンコを加えて離さない男など様々な性癖な男たちが混在している。
男同志の肉体が重なり合い、激しいピストン運動が繰り返され、肉体的な快感に愚弄される。性的快楽にハマって溺れる汗まみれの男たちの本性と根性が垣間見える。
暗闇は獣の群れがのたうち回る動物園の檻の中のようで、様々な男たちが入り乱れて、交差し混じり合う人間の標本箱と化している。
セックスを遊びの感覚、単なる欲望だけの捌け口として捉えるか?恋愛の手段として捉えるか?はその人の知性と感性によって、人生が大きく左右される。単なる性的快楽、満足を求めるのでは無くて、人生に付きまとう孤独感の穴埋め、淋しさからの解放を求めて精神的支柱となる恋人、パートナーを探す素朴な老人もいる。しかし、この館に足蹴に通う男たちのほとんどがほんの一時の性的な快楽を求めてやって来る。
2階の畳敷きの休憩室では常連客が数人、手作りの料理を持ち寄り、それを肴に宴が行われていて、すでにろれつが回らない酩酊状態の老人もいる。
この「温泉天国・老人館」は外国人お断りの看板を掲げていたが、急激な人口減少の日本では観光や産業、労働力も何もかも外国人に頼よるしかない。在日外国人の増加で観光客と見分けがつかないから、外人客も少しずつ受け入れるようになってしまった。特に最近、親日国の台湾からのお客さんが多くなった。
エイズが国外から侵入した死の病、危険な病気と騒がれた当時では絶対に有り得ないことである。また最近では若い人も高齢者を求めて来るようになった。表向き若い人はあまり歓迎されないが、ウケの年寄りは暗闇の中ではむしろ精力絶倫、ビンビンの若い男根を歓迎し待っているのだろう。
3階の暗闇の密室内では、男たちの入り乱れたセックス競演が繰り返されている。90歳近くで耳がほとんど聞こえず、暗闇では目も殆ど見えないのに執念の手探りで壁を伝わり、暗い部屋を徘徊するお爺さん。高齢なのでチンチンが起たないコンプレックスからか?自分はセックス行為に加わらず、他人の性行為を見るだけで楽しんで満足する老人。
「男はみんな浮気者だから困る」と性行為が終わってから立ち去った男に対して小言
を吐く男。そんな男を選んで遊ぶ方が悪いと思うだが…。
その密室空間は男たちの花園となり、老人たちにときめきのひと時と年相応の疲労困憊を提供する人生の失楽園になっている。
生と性に対する愛しさと哀憫、執着心が必要かつ複雑に入り混じり乱れて、社会的な通念、常識がセックスの行為、快楽に支配されてしまう。個々の人生が凝縮された人間模様、春画のような絵図が複数点、暗闇の空間に暗躍しているのが見て取れる。
暗闇空間でのセックスによる快楽の代償として、性病や皮膚病、さらに毛じらみのお土産を貰う危険性があるから、その覚悟がなければ性的な満足、エクスタシーは得られないのだ。
男性器の陰毛を剃り上げている男たちの多くは恐らく毛じらみの餌食になってしまって歯痒い思いをしたのだろう?

人は生まれて死ぬまでそれぞれの人生を背負って生きてゆく。若くして儚い人生を閉じる者もいれば、せっかく長生きしても年老いてからボケてしまい、抜け殻のような人生を歩む者もいる。
介護認定2級者で足腰が悪くても杖を突きながら「温泉天国・老人館」に週一で通う老人もいる。老人館に足蹴に通う慢性化した行動は、糖尿病などの持病以上に治る見込みがない。
同性愛者、ホモの年寄りはノンケの爺さんたちより元気で、ボケる確率が少ない。それは趣味もなく、何もすることがなく、コタツでみかんを食べて、ただテレビを見ているだけの年寄りと違って、ホモのお爺さん達は男を求めてゲイバーや映画館などをせっせと徘徊して歩くから足腰が丈夫になり、脳内が活性化されてボケ防止に役だっているのかも知れない?
昔に比べて映画館やホモビデオ、ホモ雑誌も少なくなったが、今も残存するホモのハッテン場のピンク映画館は凄い。知らずに入館したノンケは、あまりの醜態の酷さド派手さに恐らく度肝を抜かれることだろうと思う。
女装趣味の男たちの集会所かな?と思うほど趣味の悪いハデ派手な服装の女装マニアが多い。角の暗闇で抱き合って濃厚なキスをする男、ズボンを下ろして尺八をされる男、ズボンの前と後ろにファスナーがある?男の背後から必死にしがみつく男、壁に張り付いて好みの男を物色するマスクで正体を隠す男、座席に座って股間に手を置き寝たふりをして男を待つ男…。
館内の隅の暗闇では3Pどころか4Pの男の塊が蠢いている…。男としての制御不能な欲望に取り憑かれてしまい、映画館が公共の場所であるという事にはお構いなし理性なしである。性的な快楽に溺れる弱い自己にどこかでクギを刺さないと自己破滅に成りかねない。
社会的な倫理、道徳に反しているが、昔の青線、赤線ではないが、男たちがガス抜きする場所が必要悪として存在している現実がある…。
以前のようにホモビデオを購入するのではなく、スマホで無料のホモビデオを閲覧して、オナニーで性的欲望の処理が出来る。スマホ、SNSなどの普及によりHビデオを売るポルノショップが極端に減少した。
道徳観や羞恥心の欠如した快楽優先、何でもありのハッテン場での出会いで精神的な繋がりを求めることは所詮無理な話である。
「書を捨てよ、町へ出よう」寺山修司の評論集のタイトルではないが、足腰の衰えが激しい老人は家に籠ることなく「町を徘徊せよ」で、まだ生きている「実感」を感じてボケ防止に励むべきである。
年寄りは最低限、人に迷惑を掛けずに日々、健康で地道に生きていければ何も言うことはない。人それぞれ幸福の尺度が違うのだから…。
男と女、女と女、男と男の異種格闘技。人間ほど面白い動物はいない。人生の物語も生ある限り終わりはない…。

「やっと店が終わって、ほろ酔いで坂を下りる頃、白茶けたお天道が、浜辺を染め始めるのさ、そんなやりきれなさは、夜眠る人にゃあわからないさ…」
客が減り、店内が少し落ち着いたので、瞬はちあきなおみの大好きな「かもめの街」を唄った。
瞬は歌が好きだが、樹根でも他のゲイバーでも自分から進んで歌うことはあまりない。店内が混雑すればカラオケのリクエスト曲が一杯になるからだ。瞬は歌うことより酒を飲んで同類たちと気軽にくだらない会話を楽しむ方が性に合っている。
80歳過ぎの年寄りで、もうチンチンが勃たないからと男探しを諦めて、カラオケだけが楽しみでホモスナックを数軒ハシゴして飲み歩く年寄り。
心臓の持病がありペースメーカーを埋め込み、もう先が長くはないと開き直って、半額の日替わり弁当を喰らうみたいに男を次々に食い漁り散らかす老人。
妻が死んで8年間の老々介護からやっと解放されて、樹根に再び飲みに来るのを楽しみしていたら、自身に前立腺癌が見つかった。放射線治療で完治するまでは飲みに来なかったと言う88歳の年寄りなど…。
樹根は様々な人生を経験した男たちが癒されに来る、同性愛者たちの吹き溜まりとなっている。
いつもカウンターの隅に座り、自分から殆ど会話をせずに歌も唄わないで独り静かにビールと焼酎を飲む男がいる。たまたま隣に座った瞬はその男が、客が唄う演歌に合わせて口ずさんでいるのを見て、本当は彼も歌いたいのだと思い「カラオケを歌ってみたら」と勧めてみた。
最初、男は遠慮して渋っていたが、承諾して岡林信康の「山谷ブルース」を歌った。
「今日の仕事はつらかった、あとは焼酎をあおるだけ、どうせどうせ山谷のドヤずまい、ほかにやる事ありゃしねぇ…」
 50年前、山谷のドヤ街でケンカをして顔中傷だらけ、瘡蓋だらけの浮浪者が酔っぱらって路上に寝転がっている様が、瞬の脳裏に浮かんだ。
 男はかなり音痴でどう見ても歌が上手いとは言えないが、一生懸命に唄っていたので、瞬は惜しみなく拍手した。歌手ではないのだから歌を上手く歌う必要などない。
他のゲイバーではカラオケ大会を開いたりする。そのために得点が画面に表示されるカラオケで練習して歌の点数を競う客もいるが、例え高得点でもただ単に上手いだけで、歌唱力がないから何一つ感動しないのだ。瞬はむしろ高得点を自慢している高慢ちきな男の姿勢が鼻に就いてしまうのだ。
いつも演歌ばかりしか歌わないので、瞬も懐かしいフォークソングを久しぶりにリクエストした。
「わたしは今日まで生きてみました、時にはだれかの力を借りて、時にはだれかにしがみついて、わたしは今日まで生きてみました、そして今、私は思っています、明日からも、こうして生きて行くだろうと…」
吉田拓郎の「今日までそして明日から」は、フォークソング全盛時、瞬の青春時代を象徴する忘れられない唄である。ハーモニカの伴奏の音色が、時代的な郷愁を一層誘う…。今ではもう聞く事はないが、昔買った吉田拓郎のLPレコード「人間なんて」のジャケット写真が思い浮かぶ。
「僕の髪が肩までのびて、君と同じになったら、約束どおり、町の教会で結婚しようよ、whm…、古いギターをボロンと鳴らそう、白いチャペルが見えたら、仲間を呼んで、花をもらおう、結婚しようよ、whm…」
吉田拓郎の「結婚しようよ」は昭和の若者たちを象徴する長髪と裾の広いパンタロン、ジーパンが流行った時代のヒット曲だった。
60年代の安保闘争、学生運動の70年代、反体制抗議のデモ勃発、成田三里塚空港反対闘争、中核派VS革マル派、内ゲバの論理、勝利にむかっての試練……。
過ぎ去ってしまった懐かしき激動の昭和時代への回想録…。
わたしの城下町、学生街の喫茶店、真夜中のギター、俺たちの旅、青春時代など、時代を反映する昭和歌謡のヒット曲の数々…。
「泣きながらちぎった写真を、手のひらにつなげてみるの、悩みなききのうのほほえみ、わけもなくにくらしいのよ、青春の後ろ姿を、人はみな忘れてしまう、あの頃のわたしに戻って、あなたに会いたい…」
あの日にかえりたい…。

春さんをコロナで失ってから数年後、瞬は再びホモバーを飲み歩くようになった。悲しみは完全に抜けきらないが一皮剥けて、人生を達観してしまったような気がする。残り少ない人生を鑑みて開き直って無理に明るく、楽しく振舞うようになった。
陰翳礼賛の便所内では40W裸電球の明るさで十分なのに、100Wの LED電球で必要以上の明るさを照らし出す最新で綺麗なトイレのように、瞬は清潔で明るく楽しい日常生活を送ろうといつも心掛けている。
瞬は隣に座ったお客さんのリクエストにせかされると、坂本九の「上を向いて歩こう」や水前寺清子の「365歩のマーチ」など、みんなで一緒に口ずさめるような明るい歌を選んで歌うようにしている。
「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように、思い出す春の日、ひとりぽっちの夜、上を向いて歩こう、にじんだ星をかぞえて、思い出す、夏の日、一人ぼっちの夜、幸せは雲の上に、幸せは空の上に…」
1961年にリリースされた坂本九の「上を向いて歩こう」は大ヒットした。「SUKIYAKI」というタイトルでアメリカのヒットチャート第1位を獲得したが、「上を向いて歩こう」と言う題が覚えられなくて面倒だから「スキヤキ」のタイトルになってしまったと言う。
みんなに愛された明るいキャラクターの坂本九は1985年に死者520名の犠牲者を出した群馬県の御巣鷹山での日本航空123便、ジャンボジェット機墜落事故で、雲の上に、空の上に逝ってしまった。
「しあわせは、歩いてこない、だから歩いて、ゆくんだね、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで、二歩さがる…」
「365歩のマーチ」もみんなで一緒に歌える懐メロだから、結構ウケる。
「人生は、ワン・ツー・パンチ、汗かき、べそかき、歩こうよ、あなたのつけた、足あとにゃ、きれいな花が、咲くでしょう…」

「隣の忠治と言う店に歌手の三善英史が時々、来ているんだって、シュンちゃん知っている?」と隣の席に座った常連客のタカさん(高橋さん)が話かけて来る。
 忠治はマスターが国定忠治と同じ群馬県の出身地だから忠治と名付けたゲイバーで、中高年層の客が多くて結構流行っているらしい。
「あの雨と言う曲が大ヒットした三善英史?彼はカミングアウトして、大人ぽくなって一皮剥けた感じがするね」
「三善英史もういい年だから。あそこの皮はとっくにムケてるよ」爆笑!
「三善英史はカミングアウトして、奥さんと離婚の危機があったけど、夫婦で話あって乗り越えたみたいだよ」
「三善英史は全然タイプじゃあないけど、カミングアウトする勇気があってエライねぇ〜」
今の時代はゲイ、ホモセクシャルを少しは受け入れる時代になったけど、一昔前の70年代なら人気が落ちて、芸能界からシャットアウトされて消えてしまったかも知れない…?
一曲しかヒット曲がない一発屋の歌手は、副業がなければ地方でのドサ回りで稼いでいるのだろうか?
「歌手や作詞家にはホモセクシャルの人が結構いるよ」
「俳優や有名人も多いよ」
ホモの人たちは有名人を自分たちの仲間に引き込んで挿れたがる?傾向がある。ちょっとした同性愛の噂だとか?ノンケなのに40歳過ぎても結婚しない独身男性をすぐ同類にしてしまうのだ。
ミツバチが花々から甘い蜜を丹念に探し出すように、同性愛の男は電車の中でも、
街中を歩いていても、レストランの中でも、ホモ同志の独特なエロス、フェロモンを嗅ぎ分ける特殊な能力がある。
ホモは女性を拒否し、男を求める同類の独特な雰囲気、オーラを放つからすぐに解るのである。見つめ合った目と目から火花が飛んで、即座に交じり合って融合してしまうのだ。

島倉千代子の「人生いろいろ」を友ちゃんが替え歌交じりで歌う。
「死んでしまおうなんて、悩んだりしたわ、バラもコスモスたちも、枯れておしまいと、髪をみじかくしたり、つよく小指をかんだり、自分ばかりを責めて、泣いてすごしたわ…」
友ちゃんは尺八が得意でチンコをくわえて離さないから、通称、桑江知子のあだ名がある。桑江知子は1979年に「私のハートはストップモーション」が化粧品のCMソングに採用されてブレークした歌手である。
「人生エロエロ、男もエロエロ、女だってエロエロ、咲き乱れるの、恋は突然くるわ、
別れもそうね、そしてこころを乱し、神に祈るのよ…」
四六時中センズリを掻いてやつれ果てた仙人みたいな風貌をしているから仙ちゃんと呼ばれているやせこけた爺さんが陽気にハモっている。
今夜も樹根でいつものように馬鹿話やくだらないオヤジギャグが飛び交う、酒に酔って管をまく客たちの見慣れた光景が続いている。
お客さんからお酒を勧められて、樹根の従業員たちもかなり酔って顔が赤く染まって来ている。ゲイバーのマスターがお酒の飲み過ぎで、肝臓など身体を壊して店を閉めたという事はよくある話だから要注意なのです。

樹根は昼の2時から夜の10時までで閉まる。土曜日の超満員の日と違って、平日の水曜日はそれほど混まないと言っても、樹根はいつも常連客で埋まってしまう。
最初に来店した客が1〜2時間で帰り、他のゲイバーに移動して一時的に空くが、また新客が来たり、満席で入れなかったカップル客が他の老け専の店から移動して来たりする。
まだ若いせいか?年寄りに全然相手にされず、他の店でもモテないで出戻りする男。自分の顔は差し置いて他の店に行っても好きなタイプがいないと嘆いて、再び樹根に舞い戻ってくる客もたまにいる。従ってだいたい夜の8時過ぎまで、樹根はいつも満席状態になる。
「こんばんわ、瀬川瑛子です」と友ちゃんが瀬川瑛子のモノマネをして「命くれない」を歌う。
「生まれる前から、結ばれていた、そんな気がする、紅の糸、だから死ぬまで、ふたりは一緒、「あなた」、「おまえ」、夫婦(みょうと)みち、命くれない、命くれない、ふたりづれ…」
「お金くれない、お金くれない、俺にくれない…」とぐでんぐでんに酔っぱらった仙ちゃんが替え歌でハモっている。
「シュンちゃん、北千住の上ちゃん(上田さん)が肺がんで亡くなったんだって…」と新しく入店して、瞬の隣の席に座った目黒のサンマさんが教えてくれた。
サンマさんは桜の名所、目黒区の目黒川沿いの都営住宅に住んでいるから、目黒のサンマさんと呼ばれている。
サンマさんは家賃の低い都営住宅に独りで入居しているからまだ良いが、今、シニアの独り暮らしの居住先、移転が難しくて社会問題になっている。
80歳過ぎてから長年住んだ古いアパートが解体されて追い出された。年金生活者でお金がないし、保証人無しの高齢者だと言う理由で、不動産会社も相手にしてくれないと言う。まさに後期高齢者にとって死活問題なのである、日本は高齢化が進んで、シニア層がこれから約650万人に達して更に増加するらしい。
「上ちゃんのお兄さんから電話があり、弟が亡くなったと連絡があった」とサンマさんが言う。サンマさんと上ちゃんは何年も前からの古い友達で、昔付き合ったことがあると言う。
上ちゃんは横浜の60代の彼氏といつも一緒に樹根に来ていたが、瞬をとても好いてくれていて、北千住の家に遊びに来ないかと何度か誘われたことがある。瞬も上ちゃんに好意を寄せていたが、彼氏がいるからと言って遠慮していた。
横浜の彼氏も瞬のことが好きで近寄って来たが、まだ若いし背が高くてメガネをかけた顔がタイプでないので、やんわりと拒否した。上ちゃんから一度だけ、3人で遊ぼうと誘われたが断った。
肉体的快楽を得るための3Pは性的遊戯としては有り得ても、三角関係の嫉妬や僻み根性が浮き出て来る。一時の快楽は得ることが出来ても精神的な負担が多くて、面倒くさい無駄な行為だと瞬は思っている。
瞬は上ちゃんが1年近くも姿を見せなくなり、肺ガンだと言う噂は耳にしていたので気になっていたのだが…。上ちゃんは足立区の北千住で独り暮らしだと言っていたから、一軒家の持ち家などの後処理はどうしたのだろうか?お兄さんがいる事は知らなかった。横浜の彼氏は、今頃どうしているのだろうか?
俳優で人気の高かった沖雅也が日景忠男に「涅槃で待つ」と言ったように、上ちゃんは横浜の彼氏に何か遺言でも言ったのかな?そう言えば、沖雅也は瞬と同じ、昭和27生まれで31歳の早すぎる自殺死だった。
また一人、知り合いでタイプのお爺さんが死んでしまった。やはり樹根のお客さんでガンになり放射線治療で髪の毛が抜け落ちたので、いつも帽子を被っていたお爺さんは大丈夫だろうか?
瞬が以前お付き合いしたお爺さんは白血病を発病して84歳で亡くなった。高齢者と付き合うと死に直面する事が多いのは老け専の宿命である。瞬は好みの対象が自分より年寄りでないとダメで高齢者が癌や病気などで死んでどんどん減っていくのが寂しくて悲しい気分になった。しかし、仕方がないのだ。どうせ自分も人もいつか必ず死ぬ。輪廻転生などありはしない。
残された短い人生を洞察して、思いっきり明るく、楽しく、笑い飛ばして生きてやると瞬は改めて思った。
「見上げてごらん夜の星を、小さな星を、小さな光が、ささやかな幸せをうたって
る、見上げてごらん夜の星を、ボクらのように名もない星が、ささやかな幸せを祈
っている…」
お客さんも入れ替わり少し落ち着いたので、瞬は坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を久しぶりに歌った。
飲み過ぎると声が出なくなり、上手く歌おうと意識すると必ず失敗する。やはり歌は歌い慣れた曲を気持ち込めて自然に楽しく歌うのが一番だと思った。

もうすでに7時を過ぎている。瞬は2時前に飲みに来たから5時間も居座り、独りで飲み続けている。半分呑みかけのボトルの「しろ」も無くなってしまって新しいボトルを入れた。
いつものように馴染みの客との楽しいひと時を過ごしたが、今日もやっぱり精神的な出会い、新しいパートナーの恋人を見つけることが出来なかった。肉体的な嗜好が合う好みの男でも精神的な波長が合わないと長く良好な関係は築けない。何故か?瞬は好みのタイプでない男たちから好かれてしまうので困惑してしまう。
「淋しくて言うんじゃないが、帰ろかな、帰ろかな、故郷(くに)のおふくろ、便りじゃあ元気、だけど気になる、やっぱり親子、帰ろかな、帰るのよそうかな…」
北島三郎の「帰ろかな」は、瞬が樹根を出る前に最後にリクエストして歌って帰る曲である。
今夜は両脇に仲良しの知り合いがいて、さらに瞬の好みの可愛いお爺さんもいたので、思いっきり楽しい時間を過ごすことが出来た。それで、つい深酒をしてかなり酔ってしまった。彼等はもうとっくに帰ってしまった…。
今いる客はあまり好みのタイプでないし、何一つ男としての魅力を感じられない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
中国人であまり評判の良くない人相の悪い中年客が、隣で飲んでいた年寄りが勘定を払って店を出たら、後を追っかけるように慌てて樹根から出て行った。
「もう帰るから勘定して」と耳の遠いケンちゃんに数回言って、ビール2本と新しいボトルをキープした料金の8,000円を支払い、瞬も席を立った。
入口までやっと通れる狭い通路を抜ける間に、瞬の股間に客の手が伸びて来た。
「シュンちゃん、ありがとうございました」と従業員たちの声。
「シュンちゃん、またね!」と顔見知りの男の声を背中に浴びる。
入口のドア近くにいた馴染みの常連客が手を強く握って来た。ちょっとだけ名残惜しい気持ちを振り払って、瞬はドアを開けて店を出ようとした。
店の奥で接客していたターさんがそれに気づいて、入り口まで出て来て、酔って足取りのおぼつかない瞬の腰に手を添えた。
「大丈夫、またね」と瞬を1階下まで見送ろうとドアの外まで出て来ようとするターさんを片手で制して扉を閉めた。
2階の踊り場から狭くて急な階段の手摺りに捕まろうと瞬が足を踏み出した瞬間、胸の激痛に襲われた。胸を万力で締め付けられるような圧迫感と激痛で、あぶら汗が噴き出た。
何故か?突然、心筋梗塞で死んだ兄の顔を思い出した。
激痛でムンクの絵の「叫び」のように顔が歪み、頭が鉛のように重い。頭痛でクラクラ目が回り意識が遠のいてゆく…。
頭から地面めがけて人生の落とし穴、奈落の底に真っ逆さまに、瞬は階段を転がり落ちて逝った。樹根の入口の看板に横転した足が激しくぶつかった。
「ガシャン!」と大きな音がして看板がぶっ壊れた瞬間、人影のような幻影が意識の片隅にぼんやり浮かんですぐ消えた…。
「春さん…」と激痛で歪んだ瞬の震える唇から洩れた。

「いろんな人が居たし、いろんな人が居なくなった、泣いてくれるのはカモメと霧笛ばかり、一服しながら、あれこれ取り止めなく懐かしむのが、あたしは好きなのさ…」
樹根の扉の向こう側から見知らぬ誰かが唄っている、ちあきなおみの「かもめの街」の歌声が微かに漏れている…。
「カモメよ、カモメよ、風邪などひくな、絹の寝床があるじゃあなし、おまえも一生、波の上、あたしも一生、波の上、あ〜あ〜、ドンブラコ、カモメよ、カモメよ、あ〜あ〜」
26/05/18 19:29更新 / 河志摩 運

■作者メッセージ
リニューアル版

友達に頼まれて書いた初めての小説を投稿したら、未完成ながら反応があり、約1ケ月で3,600人が読んでくれました。その後、何回も読み返し、加筆修正すると枚数が増えてしまい、最初とは文章表現、言い回しなどがかなり変更されました。
それで掲載したものを破棄してリニューアル版として新しく投稿しましたので、興味がある人は読んで下さい。よろしくお願いします。
ホモやレズの同性愛に対する偏見は以前に比較したら少なくなりました。
しかし世間の眼はまだまだ冷ややかです。
男の世界を少しでも知ってもらおうと思い小説にしました。
(これは全て創作です)

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