読切小説
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政宗と小十郎
天正十七年、仙台の空にまだ雪の残る早春の月が冴え冴えと昇っていた。

政宗は、館の奥座敷にて、硯に向かっていた。黒漆の鎧櫃の横で、月明かりが静かに障子を透かし、薄絹のような影を床に落としている。その影の中、小十郎・景綱が黙って控えていた。

「小十郎……おぬしは、わしのために、どこまで身を投げ出すつもりか」

ふいに政宗が問いかけた声は、独眼の奥に潜む淋しさを滲ませていた。

「殿が命じられれば、命を差し出すことも厭いませぬ」

「命など要らぬ。……わしは、そなたの心が欲しいのだ」

その言葉に、小十郎の胸はひそかに震えた。戦場で幾たびも背を預け、血と泥にまみれた日々を共にした政宗。その孤独を知る小十郎には、その一言の重さが痛いほど分かった。

静かに近づいた政宗が、小十郎の頬に手を添える。その指先は、剣を握るときとは違う、やわらかな温もりを湛えていた。

「もし……殿が望まれるなら、この身はすべて、殿に委ねとうございます」

ふたりの影が、障子の淡い光の中でひとつに溶けていく。春の夜の冷気のなか、ふたりの吐息だけが、確かな熱を帯びていた――。

[月下の誘い]

春もまだ浅く、風に残る雪の気配が、館のなかにも静かに沁みこんでいた。

政宗は、夜具も敷かれた奥の間に、裾の重い小袖を脱ぎかけたまま、火鉢の傍らに腰を下ろしていた。深夜、用もないのに呼び寄せられたことに、小十郎はすぐに気づいていた。だが、その理由を問いただすことは、彼の立場として許されぬ。

「寒うはないか、小十郎」

政宗の声は低く、湿ったような響きを帯びていた。

「殿の傍にあれば、冷えなど忘れ申す」

静かに答えた小十郎は、まだ鎧下を脱がぬまま、膝をついた。己より十以上も年若い主君――されど、己よりも鋭く、強く、時に寂しげな瞳を持つ男。その目が、今、じっと自分を見ていた。

「腰を……こちらへ」

言われるままに、畳の上をにじるように近づけば、政宗の指が、小十郎の袴の結び目にそっと触れた。

「わしには、おぬししかおらぬ。そなたのすべてが欲しいのだ……」

かすかな衣擦れの音。小十郎の袴がほどかれ、鎧下の麻布越しに、体温の違いが肌を伝う。政宗の手のひらが、その胸に、肩に、そして背へと巡るたび、古傷の一つひとつが目を覚ましたように疼いた。

小十郎の腰にも、同じように褌が巻かれている。政宗の指がそこに触れた時、彼の呼吸はほんのわずかに乱れた。二人は、衣服の下にある肌の重みを知っている。その密やかで確かな記憶が、再び確かめられようとしている――。

政宗の唇が小十郎の頬に触れ、やがて唇が重ねられる。最初は触れるか触れないかといった感触から、再び三度と互いを感じ合う様に深く、舌先を絡めては吸い、流し込む様に尖らせては緩める仕草を繰り返し、時折り視線を絡めてまた求めて行く。

「これが戦ならば、斬られても悔いはない」

小十郎の声は震えもせず、ただ真っすぐに響いた。

「いや……これは、生きるための戦よ」

政宗が囁いたその瞬間、二人の距離は言葉の要らぬほどに近くなった。火鉢の赤がゆらめき、夜の帳に包まれた館の奥で、褌の端がそっと解かれる音だけが、確かに響いた。

畳に落ちた影が、やがてゆるやかに重なり、静かな夜の底に溶けていく。

互いの褌が夜具の外に重なる形で解け置かれた。胸を合わせ、腰を重ね、二つの魂とも言える熱を孕んだものを互いになぞり合い、ふと離れた胸の隙間に手を這わせ頂に指が触れながら額を預けてゆく、これまでも何度となく繰り返された行為の中にも、今宵だけに感じる刹那の思いが、口元から漏れる吐息が、身悶えする男の堪えたうねりの様に部屋を満たしていく。
雪解けの水が遠くの樋を伝う音が、ふたりの重なる鼓動のように、途切れがちに響いていた。

[朝霧の余韻]

夜が白みはじめた頃、障子の向こうに山の端の気配がぼんやりと映りはじめていた。まだ人の気配もなく、館は静寂のうちに包まれている。

寝具のなか、肌を合わせたままのふたりは、言葉少なに、ただ互いの息づかいを確かめていた。
政宗は、小十郎の肩を抱いたまま、褌の結び目のあとが残る腰に、ゆっくりと手を滑らせた。その指先が、戦に向かう前のように、確かめるように、小十郎の身体をなぞる。

「……夜が明けるのが、惜しいな」

政宗の声は、夢の続きのように淡く、肌の温もりに混じる。
小十郎は答えず、ただ政宗の胸に頬を寄せた。鍛え上げられた肉の起伏、汗の残り香、そして褌の下に未だ仄かに漂う熱気。武士の身体に宿るものすべてが、言葉よりも雄弁に語っている。

やがて、障子の隙間から、淡い朝日が差し込み、畳にふたりの影を落とした。
政宗は褌を締め直し、肌着の襟をくつろげたまま、小十郎の横顔を見つめていた。片目に映るその姿には、戦場では決して見せぬ穏やかさがあった。

「おぬしがこうして、傍にいてくれるだけで……わしは、強くなれる」

その声に、小十郎は微かに笑った。
「強くあられる殿を、支えるのが、拙者の役目にござる」

言い終えてから、小十郎は政宗の髷の乱れをそっと撫でた。指先がそのうなじに触れる。戦では決して見せぬ、若き日のままの柔らかい肌。そこに触れることを許されていること――それは、何より深い信頼の証であった。

衣を整えながらも、互いの指先が不意に触れ、目が合うたびに、先ほどまでの交わりの余熱が身体に残る。

視線を交わしながら、互いの距離を縮め、政宗の胸に手を当てる小十郎、その顎に手を添えた政宗は軽く引き寄せ、何か言おうとするその唇を自らの唇を重ねて塞いだ。

小袖の袖越しに感じる指の厚み。その指先で押された政宗の胸の頂の微かな痺れ、小十郎の褌の結び目の下にまだ残るジンとした余韻。
それらすべてが、ふたりの夜の激しさを物語っていた。

外では、庭先の雪がわずかに崩れ落ち、春の鳥が一声さえずった。

「今日もまた、戦は続きますな……この世にては」

小十郎が言うと、政宗はわずかに笑い、床の間に飾られた刀に目をやった。

「ならば、生きて戻れよ、小十郎。わしの傍に……ずっとな」

言葉の奥にある願いを、小十郎は痛いほど理解していた。
その想いを胸に、ふたりはやがていつもの主従の装いへと戻っていく。

だが、その裾の奥――
整えられた褌の奥にある、火照りの名残と、肌に残されたわずかな痕跡だけが、夜の真実を物語っていた。

朝の光のなかで交わされる言葉のひとつひとつが、まるで前夜の愛撫の続きのように、静かに、熱を宿していた。
25/05/29 08:46更新 / 卯之助

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