■ 窓 - 窓 3
9月も中旬を過ぎ涼しくなってきた。冬になったら窓も開かなくなるだろう。そう考えるとたまらなく寂しくなってきた。多くは望めないにしても、せめて友人になりたい。仕事では全く業種が違い、年齢もかなり離れておりまったく接点がなかった。彼は部屋に風呂は有るようだが、たまに銭湯に行くのを見たことがあった。同じ銭湯に自分も行って何か共通の話題が有れば、そこで話しかけようかと本気で考えた。銭湯では相手への警戒心も下がるし話しやすいかもしれない。その日、彼が夜8時過ぎに銭湯に行く準備をしているのが見えた。ドアを閉めて部屋の鍵をマットの下に入れるのを偶然見てしまった。銭湯で無くさないようにか、それとも非常時のスペアキーなのかそれにしてもずいぶんと不用心だなと思った。次の瞬間超えてはならない一線が頭に浮かび心臓がドキドキして苦しくなってきた。合鍵を作ればいつでも彼の部屋に入れるではないか。いやそれだけはやってはいけない。そもそも住居の不法侵入は犯罪だし。だが窓から見てるだけではもう満足できなくなっているのも事実だ。昼間不在の時だけ彼の好きなものを調べるだけだ。次々と悪魔の囁きが頭に浮かんでは消える。彼への執着が強すぎて、すでに冷静な判断が出来なくなっていた。
元来臆病な私は、しばらく鍵の事は考えないようにしていた。しばらくして新聞に緊急時の鍵の対応をする業者のチラシが入ってきた。新しくオープンするようで、合鍵作成の文字もあり一気に顔が熱くなった。こんなチラシ見なければ良かったと思う反面、期待で前のめりになっている自分もあった。夜も9時までやっており地図を見ると意外とここからそう遠くない。自転車なら5分くらいか。居ても立っても居られず実際自転車で行ってみた。意外に5分もかからない。早速合鍵を作る場合どれくらい時間が掛かるか聞いてみた。先に依頼が無ければ鍵にもよるが15分くらいとのこと。彼はいつも銭湯に行くと一時間くらい帰ってこない。十分間に合う時間だ。もうやらないという選択はいつの間にか無くなっていた。銭湯に行くのは不定期ではあるが休みの前日が多い。大体夜7時半か8時くらいになる。ゆっくりと入るようでいつも9時位に帰ってくる。お風呂のセットを持って行くのでまず間違えることはない。
次の土曜日帰宅してから窓を見ると、ジャージに着替え銭湯に行く準備をしている。あれっ、いつもより早いなと思いながら急に緊張感で喉が渇いてきた。彼が部屋を出ていつものように鍵をマットの下に入れた。やるなら今日しかないと思い自分も大急ぎで着替え、部屋を出てエレベーターで1階に降りて様子を伺う。姿が見えなかったのでエントランスを出るとかなり先を歩いている。角を曲がるまで自転車で後をつける。忘れ物をして取りに帰らないか見極めるためだ。ここで焦っては元も子もない。それから銭湯に入るのを見て出てこないのを確認した。大急ぎで戻り鍵を回収し鍵屋へと急ぐ。後から考えても詳しい状況はほとんど思い出せない。どうしてあんなことが自分に出来たのか、まるで脳が勝手に記憶を削除したかのような感じだった。とにかく先客も無く合鍵の作製は予想以上に早く終わったのは覚えている。元の鍵を間違わずに同じ場所に戻した時はまだ30分も経っていなかったのである。部屋へ戻り双眼鏡で眺めていると、ビールとアイスを買って彼が帰ってきた。部屋へ戻ると風呂上がりの上気した顔に髭の剃り跡が凛々しくいつもより若々しく見えた。あぁ、彼ってよく見ると綺麗な顔してるんだなと見とれてしまった。キリッとした眉に一重で切れ長の目がとてもきれいだ。全体に彫りが深く上品さを兼ね備えた美しさだ。髪も坊主から少し伸びた短髪が良く似合っている。若い男にはない成熟した男の色気が出ておりたまらない。おまけにあのすごい体。モテない訳が無いのに、どうしてこんな良い男が独身なのか分からなかった。肌寒くなって来ると、窓は閉じられたままとなった。だがこの鍵が有れば、いつでも彼の部屋に入れると思う事で何とか心の安定を保つことが出来た。しばらく彼の顔を見ていないし、夏に撮ったビデオで自分を慰めるのもそろそろ限界だった。彼の顔が見たくて我慢できなかったのだ。2回ほど平日休みの時玄関まで行ったが、どうしても勇気が出ず鍵は使えなかった。