連載小説
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永遠に続くワルツ
白いカーテンの向こうで、何やら話し合う声がする。

(なぜ、あの男がここにいるんだ……!)
心臓が早鐘を打つ。もしかして、病院も、救急隊員も、周りの人間すべてが結託して私を嵌めようとしているのではないか。恐怖に駆られた私は、何とかして警察に連絡しようとベッドから暴れ出したが、「落ち着いてください」と看護師たちに厳しく制止されてしまった。

カーテンの向こうでは、俊と医師が静かに会話を続けている。私は暴れるのをやめ、必死に聞き耳を立てた。
そこで語られていたのは、私の世界を根底から覆す、あまりにも衝撃的な事実だった。

「やはり、また『その時期』が来てしまいましたか、俊さん」
「ええ……。今回は少し、混乱が激しいみたいです。頭を縫う羽目になってしまいました」

医師の言葉に、俊が痛々しそうに答える。
医師の口から告げられた私の病名――それは、「アルツハイマー型認知症」だった。

私は病によって、数ヶ月という短いスパンで、それまでの記憶をすべて綺麗に忘れてしまうのだという。
そして、今夜起きた凄惨な拒絶と脱出劇は、これまでにも全く同じように、何度も、何度も繰り返されてきたことなのだと。

俊はストーカーなどではなかった。彼は本当に、記憶を失う前の私のかけがえのないパートナーであり、長年連れ添った「夫婦」そのものだったのだ。
(私は……そんな大切な人のことすら、忘れてしまっていたのか……)
真実を知った瞬間、目頭から熱い涙が止めどなく溢れ出し、シーツを濡らした。


ひと通りの処置を終え、私は俊に促されるまま、あの家へと連れ戻された。

かつて不穏に聞こえた近隣住民との会話の真意が、今なら痛いほどよく分かる。「一人で面倒を見るのは大変ね」という言葉は、認知症の私を施設に預けず、自宅で老老介護を続ける俊への労いだったのだ。「目が離せない」「いつも追っている」というのも、徘徊やパニックを起こす私を、彼が命がけで見守ってくれているという意味だった。

けれど、家に帰った私は、一つの不思議な疑問を俊に投げかけずにはいられなかった。
法律上の夫婦ではない、男性同士のパートナー。言ってしまえば、戸籍の上では他人だ。
「……どうして、そこまでしてくれるんだ? 存在さえ忘れて、君を傷つけるような私なんか、いっそ放っておいてくれたらよかったのに」

すると、俊は優しく微笑み、私の手を包み込むように握りしめた。
「放っておけるわけないよ。僕は、君のことを心から愛しているんだから」

俊は、静かに語ってくれた。
「司はね、僕のことを忘れて、最初はすごく怯えるんだ。でも、身体を重ねると、不思議と本能で僕をパートナーだと気付いてくれる。そして数日経つと、必ずまた、僕に恋をしてくれるんだよ」

俊がいつも流していたあの涙。初めて身体を重ねた日に彼が漏らした「嬉しい」という言葉。
あれは、監禁に成功した狂気の歓喜などではなかった。
すべてを忘れられて傷つき、絶望の底にいた彼が、私から「新しい恋心」をもう一度受け取ることができた――そのあまりの救いと喜びに、胸を震わせていた証だったのだ。

「ごめんなさい……っ、疑って、あんなに酷いことをして、傷つけてしまって……っ!」
私は俊の胸にしがみつき、声を荒げて泣きじゃくった。彼の頭の包帯が視界に入る度、胸が張り裂けそうだった。
俊もまた、私の背中に腕を回し、「不安にさせてごめんね」と涙を流して私を強く抱きしめてくれた。

その夜、俊は私がめちゃくちゃに散らかした部屋を黙々と片付け、私の隣にそっと寄り添った。
私たちは、確かめ合うように深いキスを交わした。
どちらからともなく、互いのチンポを熱烈に舐め合う。それは罪悪感も恐怖もない、純然たる愛の儀式だった。私は彼を優しく、そして激しく貫き、お互いの熱い精液を最後の一滴まで愛おしく飲み干した。

再び深いキスを交わし、俊が私の耳元で囁く。
「おやすみ、司。また明日ね」
「おやすみ、俊……」
私たちは、固く手を繋いだまま、深い眠りへと落ちていった。



翌朝、小鳥のさえずりで目が覚めた。
私はゆっくりと上体を起こし、見慣れない部屋を見回した。……何も、思い出せない。

私は一体何者で、ここで何をしているのだろう。
ふと横を見ると、見知らぬ優しい顔立ちの男性が、私の隣で静かに眠っている。
戸惑いの中、目覚めた彼に向かって、私は不安を堪えながら声をかけた。

「あの……私は、誰なんでしょうか? そして、君は……?」

その言葉を聞いた瞬間、彼の顔がキュッと歪んだ。そして、彼の両目から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていく。

私はその状況が理解できず、おろおろと尋ねるしかなかった。
「どうして……泣いているの?」

彼は濡れた瞳のまま、愛おしそうに無理やり笑顔を作って、私の頭を優しく撫でた。
「何でもないよ」
そして、温かい声で教えてくれた。

「僕と君はね、夫婦なんだよ」

窓から差し込む朝陽が、彼を美しく照らしていた。
私の胸の奥が、トクン、と切なく跳ねる。

――きっと私は、またこの人に、新しい恋心を抱くのだろう。

(了)
26/06/04 17:36更新 / 調教師の60代
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