偽りの紳士
その日、画面に滑り込んできたメールは、いつもの罵詈雑言と内容は同じだった。しかし、決定的な違いがひとつだけあった。送信元のメールアドレスが、使い捨てではない、明らかに個人が日常的に使用している本物のアドレスだったのだ。
おそらく、同じ掲示板で他の誰かとやり取りをした直後、アドレスの設定を戻し忘れて私に嫌がらせを送ってきたのだろう。
いつもなら即座にゴミ箱行きだが、度重なる妨害に私の堪忍袋の緒は切れていた。ただ苦言を呈するだけでは、アドレスを変えられて逃げられるのがオチだ。
「――化けの皮を剥いでやる」
私は冷徹なハンターのように、あえて「間違えて送ってきた純粋な迷い人」を装って、相手に返信を送り、情報を引き出す対話を開始した。
「どこの掲示板ですか?」と警戒する相手に、私は「あなたが載せていた書き込みを見て連絡した。あの投稿はもう消されてしまったようだが」と嘘を吐き、煙に巻いた。
そうして引き出したプロフィールの主は、私より年上の70代半ばの男。SMのような過激な世界を激しく嫌悪し、ごく「ノーマルな純愛」を求めているという。年齢的には私の好みの範疇だ。何より、あの陰湿なメールの主がどんな面下げをして生きているのか、この目で確かめてみたくなった。
待ち合わせ場所に現れたのは、驚くほど紳士的で、おとなしそうな佇まいの老人だった。
(まさか、この男が……)
私は本性を隠し、まずは話を合わせてみることにした。男は「凌辱的な行為をする人間が許せない」と、まるでかつて流行った『マスク警察』のように、自身の価値観こそが絶対正義だと言わんばかりの自己中心的な持論を展開した。
優しい顔立ちとは裏腹に、口を開けば日頃のストレスをぶちまけるように暴言を連発する。その姿に、私は心の中で(そんなにネットの世界が嫌なら、電波も届かない島にでも移住すればいいものを)と冷笑を浮かべていた。
男は「特定の人と静かな島へ旅をするのが好きだ」と語った。私も定年を迎え、時間は有限に、しかし潤沢にある。男も元既婚者で、妻を亡くしてから自由な身だという。
その夜、私は男の好みに合わせた「ノーマルなセックス」に付き合うことにした。
だが、それは私にとって苦痛以外の何物でもなかった。フェラチオは舌先で軽く転がすだけ、お尻にペニスの先を少し挿入しただけで痛がりギブアップ。そのくせ、男の雄々しいペニスを根元までは「咥えてくれ」と要求してくる。傲慢で身勝手な交わりに、私の内側でどす黒いストレスが静かに、しかし確実に堆積していった。
ここで怒りを爆発させても意味はない。私は我慢に我慢を重ね、極上の従順さを演じきった。
行為のあと、ベッドの上で上から目線で「また次も会ってあげる」と言い放つ男に、私は暗い笑みを返した。
すべては、この傲慢な獲物を完全に仕留めるための、仕込みに過ぎないのだから。
週に1回、男の我儘に付き合う関係を始めてしばらく経った頃、ようやく男は私に完全に心を開いた。
「時間があるなら、一緒に小笠原諸島へ旅行に行かないか?」
普段の私なら、特定の誰かに縛られる長期の旅行など真っ平ご免だ。しかし、今回は違った。私には、明確な「目的」があった。
小笠原への旅は、24時間近く船に揺られて太平洋を進み、現地で1週間ほど滞在して、再び船で帰るという、時間と心に余裕がある者にしか許されない行程だ。
東京港を出港した船は、夜の帳が降りた大海原を進んでいく。船内のレストランで、私は男に楽しげに談笑を投げかけながら、次から次へと強い酒を勧めた。自分はノンアルコールを酒に見せかけて煽り、泥酔していく男の目を欺く。
やがて男は、泥のように深い眠りに落ちた。何があっても起きない確信を得たところで、私は行動を開始した。
男の枕元から、ロックのかかっていないスマートフォンを抜き取る。
画面を開き、インターネットの履歴やメールを覗き見ると、案の定、そこには私だけでなく、多くのゲイたちの趣味嗜好を執拗に否定し、批判し続ける歪んだ足跡が残されていた。他の人間とのやり取りでも、自分の思い通りにならないと罵倒する我儘の極みだった。
「やはり、お前だったか」
私は愛用のスマホを取り出し、男のスマホから動かぬ「ネット弁慶の証拠」をすべて自身の端末へと転送した。
そして、男のスマホから電池パックを容赦なく抜き取る。これでただのプラスチックの塊となった機械を、私は船内の暗いゴミ箱の奥深くへと放り投げた。
翌朝、目的地への接岸まであと2時間という頃。男は血相を変えて私を揺り起こした。
「携帯がないんだ! 知らないか!?」
私は眠気まなこを装い、とぼけて見せた。
「知らないなぁ……。あ、そういえば、夕べ酔い覚ましに外のデッキへ出ていかなかった? 風が強かったし……」
私も協力するふりをして、自分のスマホから男の番号へかけてみせる。当然、繋がらない。
「もしかして、海に落としちゃったんじゃないの?」
私の言葉に、男は顔を真っ赤にして激昂した。
「お前が酒を勧めてきたからだ! 責任を取れ!」
逆恨みも甚だしい怒り口調で吠える男を、私は冷ややかに見つめていた。文明の利器を失い、外部との連絡手段を絶たれた哀れな老紳士。
船はゆっくりと、絶海の楽園であり、隔離された監獄でもある目的地へと接岸した。私たちは重苦しい空気のまま、予約していた宿へと向かった。
私の仕掛けた「1週間の復讐劇」は、まだ始まったばかりだった。
おそらく、同じ掲示板で他の誰かとやり取りをした直後、アドレスの設定を戻し忘れて私に嫌がらせを送ってきたのだろう。
いつもなら即座にゴミ箱行きだが、度重なる妨害に私の堪忍袋の緒は切れていた。ただ苦言を呈するだけでは、アドレスを変えられて逃げられるのがオチだ。
「――化けの皮を剥いでやる」
私は冷徹なハンターのように、あえて「間違えて送ってきた純粋な迷い人」を装って、相手に返信を送り、情報を引き出す対話を開始した。
「どこの掲示板ですか?」と警戒する相手に、私は「あなたが載せていた書き込みを見て連絡した。あの投稿はもう消されてしまったようだが」と嘘を吐き、煙に巻いた。
そうして引き出したプロフィールの主は、私より年上の70代半ばの男。SMのような過激な世界を激しく嫌悪し、ごく「ノーマルな純愛」を求めているという。年齢的には私の好みの範疇だ。何より、あの陰湿なメールの主がどんな面下げをして生きているのか、この目で確かめてみたくなった。
待ち合わせ場所に現れたのは、驚くほど紳士的で、おとなしそうな佇まいの老人だった。
(まさか、この男が……)
私は本性を隠し、まずは話を合わせてみることにした。男は「凌辱的な行為をする人間が許せない」と、まるでかつて流行った『マスク警察』のように、自身の価値観こそが絶対正義だと言わんばかりの自己中心的な持論を展開した。
優しい顔立ちとは裏腹に、口を開けば日頃のストレスをぶちまけるように暴言を連発する。その姿に、私は心の中で(そんなにネットの世界が嫌なら、電波も届かない島にでも移住すればいいものを)と冷笑を浮かべていた。
男は「特定の人と静かな島へ旅をするのが好きだ」と語った。私も定年を迎え、時間は有限に、しかし潤沢にある。男も元既婚者で、妻を亡くしてから自由な身だという。
その夜、私は男の好みに合わせた「ノーマルなセックス」に付き合うことにした。
だが、それは私にとって苦痛以外の何物でもなかった。フェラチオは舌先で軽く転がすだけ、お尻にペニスの先を少し挿入しただけで痛がりギブアップ。そのくせ、男の雄々しいペニスを根元までは「咥えてくれ」と要求してくる。傲慢で身勝手な交わりに、私の内側でどす黒いストレスが静かに、しかし確実に堆積していった。
ここで怒りを爆発させても意味はない。私は我慢に我慢を重ね、極上の従順さを演じきった。
行為のあと、ベッドの上で上から目線で「また次も会ってあげる」と言い放つ男に、私は暗い笑みを返した。
すべては、この傲慢な獲物を完全に仕留めるための、仕込みに過ぎないのだから。
週に1回、男の我儘に付き合う関係を始めてしばらく経った頃、ようやく男は私に完全に心を開いた。
「時間があるなら、一緒に小笠原諸島へ旅行に行かないか?」
普段の私なら、特定の誰かに縛られる長期の旅行など真っ平ご免だ。しかし、今回は違った。私には、明確な「目的」があった。
小笠原への旅は、24時間近く船に揺られて太平洋を進み、現地で1週間ほど滞在して、再び船で帰るという、時間と心に余裕がある者にしか許されない行程だ。
東京港を出港した船は、夜の帳が降りた大海原を進んでいく。船内のレストランで、私は男に楽しげに談笑を投げかけながら、次から次へと強い酒を勧めた。自分はノンアルコールを酒に見せかけて煽り、泥酔していく男の目を欺く。
やがて男は、泥のように深い眠りに落ちた。何があっても起きない確信を得たところで、私は行動を開始した。
男の枕元から、ロックのかかっていないスマートフォンを抜き取る。
画面を開き、インターネットの履歴やメールを覗き見ると、案の定、そこには私だけでなく、多くのゲイたちの趣味嗜好を執拗に否定し、批判し続ける歪んだ足跡が残されていた。他の人間とのやり取りでも、自分の思い通りにならないと罵倒する我儘の極みだった。
「やはり、お前だったか」
私は愛用のスマホを取り出し、男のスマホから動かぬ「ネット弁慶の証拠」をすべて自身の端末へと転送した。
そして、男のスマホから電池パックを容赦なく抜き取る。これでただのプラスチックの塊となった機械を、私は船内の暗いゴミ箱の奥深くへと放り投げた。
翌朝、目的地への接岸まであと2時間という頃。男は血相を変えて私を揺り起こした。
「携帯がないんだ! 知らないか!?」
私は眠気まなこを装い、とぼけて見せた。
「知らないなぁ……。あ、そういえば、夕べ酔い覚ましに外のデッキへ出ていかなかった? 風が強かったし……」
私も協力するふりをして、自分のスマホから男の番号へかけてみせる。当然、繋がらない。
「もしかして、海に落としちゃったんじゃないの?」
私の言葉に、男は顔を真っ赤にして激昂した。
「お前が酒を勧めてきたからだ! 責任を取れ!」
逆恨みも甚だしい怒り口調で吠える男を、私は冷ややかに見つめていた。文明の利器を失い、外部との連絡手段を絶たれた哀れな老紳士。
船はゆっくりと、絶海の楽園であり、隔離された監獄でもある目的地へと接岸した。私たちは重苦しい空気のまま、予約していた宿へと向かった。
私の仕掛けた「1週間の復讐劇」は、まだ始まったばかりだった。
26/05/27 16:45更新 / 調教師の60代
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