歪な支配への愉悦
かつて偏見もなく私を受け入れてくれた周囲も、私と彼との関係を知った時は言葉を失うほど驚いていた。何より彼らの度肝を抜いたのは、私がゲイになったことそのものよりも、「自分と同年代ではなく、実の親ほども歳の離れた老人が相手だった」という事実だったらしい。
そんな周囲の驚きをよそに、私は彼からゲイとしての嗜み、作法、その世界の歩き方を手取り足取り仕込まれていった。数年も経つ頃には、私はすっかりその世界の住人として染まりきっていた。
彼との性生活は、毎日のように熱く繰り返された。これまでの人生で抑圧されてきたもの、失われていた時間を取り戻すかのように、一言で表すなら私は「淫乱」になっていたのだ。彼は最初のうちこそ、そんな私の溢れんばかりの情熱を優しく受け止めてくれていたが、年月とともに次第に気持ちが落ち着いていったのだろう。私との交わりの回数は、ある時期を境に極端に減っていった。
相手の年齢を考えれば仕方のないことだと頭では理解しつつも、一度燃え上がってしまった私の肉体の欲求は、そう簡単に止めることはできなかった。私の悶々とした空気を察してか、彼は「他のお相手と楽しんできてもいいよ」と、どこか達観した様子で許してくれた。しかし、純粋に彼を愛してこの世界に入った私には、他に男を探す手段もなければ、見知らぬ男を自分から誘う度胸も持ち合わせていなかった。
そんな折、彼から一人の男性を紹介された。
彼の知人だというその男は、七十代前半。髪は見事なロマンスグレーで、仕立ての良いスーツが似合う、いかにも紳士という佇まいの御仁だった。その老紳士もいわゆる「ウケ」であり、私の噂を聞きつけて、その爆発しそうな若い性をぜひ味わってみたいと望んでいるという。
この頃の私は、すでに彼のおかげで、年老いた男性と唇を重ねることに無上の喜びを見出すようになっていた。さらに、目覚めて以来ずっと「タチ」として生きてきたため、ウケの男をいかに悦ばせるかという愛撫の手技にも、何の嫌悪感も持たずに没頭できるようになっていた。
初めのうちは、付き合っている彼にしていたのと同じように、優しく紳士的な愛撫を施し、いつものように挿入へと至った。しかし、その老紳士は私の男らしい最中にあっても、どこか物足りなさそうな顔をして、不意にこう告げたのだ。
「……それでは、満足できない」
どういうことだろう、と私が首を傾げていると、老紳士は連れてきたバッグを開け、中から一本の太い縄を取り出した。そして、熱を帯びた瞳で私を見上げ、「これで私を縛ってほしい」と懇願したのである。
バッグの中には、それ以外にも俗に言う「SMグッズ」の数々が隙間なく詰め込まれていた。それまでノーマルな、ただ愛し合うだけのタチだと思っていた私は、その瞬間、自らの中に眠っていたもう一つの本能――「Sタチ」としての悦楽に、一瞬にして目覚めさせられてしまったのだ。
老紳士は、縄でがんじがらめに縛られ、身動きの取れない状態の肉体を弄ばれることに、たまらない快感を覚える性質だった。最初は緊縛した状態での挿入だけだったが、行為は回を重ねるごとに、加速度的にエスカレートしていった。熱い蝋をその白い肌に垂らし、時には鞭を振るう。そんな過激なプレイも、彼に手ほどきを受けながら体験していった。
もし私にその素質がなければ、このような凄惨にも思える行為には嫌気がさしていたはずだ。しかし、私には元からその血が流れていたのだろう。怯え、歓喜し、悶える老紳士を容赦なくいたぶることに、私の加虐欲は激しく呼応した。相手をいたぶり、辱める行為の底なしの魅力に、私は文字通り溺れていった。
その老紳士との、甘美で歪な関係は数年間に及んだ。
その間に、私は完全なる「Sタチ」として完成されていった。相手を縛り上げた状態で鞭を打ち、自由を奪われた相手の口へ、私の大きなペニスを無理矢理ねじ込む。口内へ溢れ出るのは、精液だけではなかった。私の放つ小便さえも、相手は悦びの涙を流しながら飲み干していく。その絶対的な支配と従属の構図に、私は激しい快感を覚えるようになっていた。
彼との倒錯した逢瀬は、室内だけに留まらなかった。
天気の良い日に二人で街を散歩している時も、彼の着ている上質なコートの下は、一物も纏わぬ裸のまま、私の手によって縄で縛り上げられている……そんなスリリングな状況を何度も愉しんだ。また、ゲイの世界では大層モテる部類に入るその老紳士を、あえて男たちの集まる陰気な場所へと連れて行き、私の目の前で、彼のタイプではない粗野な男たちにお尻を差し出させ、そのまま種付けをさせるという、陵辱の美学にも手を染めた。
その老紳士から徹底的に叩き込まれた「Sタチ」の技術を武器に、私はその後、数々の相手を私の手で「調教」していった。生意気な男や、自分を偽っている男を、私好みの従順な犬へと変えていくこと――それこそが、私の至上の歓びとなった。
気づけば、そんな刺激的な生活を数十年も続けていた。
そして私は六十五歳を迎え、定年退職という人生の節目に行き着いた。
振り返れば、私の人生は男性一色、それも「特定の相手を見つけては、自分の色に調教すること」が、唯一無二の趣味であり生きがいだった。
しかし、かつては体中から爆発するように湧き出ていた凄まじい精力も、年齢とともに、少しずつ確実に衰えを見せ始めていた。「ハッテン場」と呼ばれる、男たちが集う暗がりの場所に赴き、好みのタイプを見つけて肌を重ねてみても、かつてのような魂が震えるほどの快感は得られず、どこか物足りなさを感じるようになっていた。
現役で働いていた頃は、平日は真面目に仕事をこなし、土日はそうした暗がりの場所で男を調教するという、生活の「メリハリ」が私を突き動かしていたのだろう。しかし、平日も休日も境目のなくなった現在の悠々自適な日々にあっては、そのメリハリ自体が消失してしまった。あんなに夢中だった調教すら、次第に「面倒くさい」と感じるようになっていく自分がいた。
それでも、自分が根っからの「男性愛者」であるという厳然たる事実は変わらない。
あの鮮烈な三十代の夜から始まった私の旅路。今はただ、衰えゆく身体と消え残る情欲の残り火を抱えながら、週に一度、引き寄せられるようにハッテン場へと、ただ静かに足を向けるだけの日々を送っている。
そんな周囲の驚きをよそに、私は彼からゲイとしての嗜み、作法、その世界の歩き方を手取り足取り仕込まれていった。数年も経つ頃には、私はすっかりその世界の住人として染まりきっていた。
彼との性生活は、毎日のように熱く繰り返された。これまでの人生で抑圧されてきたもの、失われていた時間を取り戻すかのように、一言で表すなら私は「淫乱」になっていたのだ。彼は最初のうちこそ、そんな私の溢れんばかりの情熱を優しく受け止めてくれていたが、年月とともに次第に気持ちが落ち着いていったのだろう。私との交わりの回数は、ある時期を境に極端に減っていった。
相手の年齢を考えれば仕方のないことだと頭では理解しつつも、一度燃え上がってしまった私の肉体の欲求は、そう簡単に止めることはできなかった。私の悶々とした空気を察してか、彼は「他のお相手と楽しんできてもいいよ」と、どこか達観した様子で許してくれた。しかし、純粋に彼を愛してこの世界に入った私には、他に男を探す手段もなければ、見知らぬ男を自分から誘う度胸も持ち合わせていなかった。
そんな折、彼から一人の男性を紹介された。
彼の知人だというその男は、七十代前半。髪は見事なロマンスグレーで、仕立ての良いスーツが似合う、いかにも紳士という佇まいの御仁だった。その老紳士もいわゆる「ウケ」であり、私の噂を聞きつけて、その爆発しそうな若い性をぜひ味わってみたいと望んでいるという。
この頃の私は、すでに彼のおかげで、年老いた男性と唇を重ねることに無上の喜びを見出すようになっていた。さらに、目覚めて以来ずっと「タチ」として生きてきたため、ウケの男をいかに悦ばせるかという愛撫の手技にも、何の嫌悪感も持たずに没頭できるようになっていた。
初めのうちは、付き合っている彼にしていたのと同じように、優しく紳士的な愛撫を施し、いつものように挿入へと至った。しかし、その老紳士は私の男らしい最中にあっても、どこか物足りなさそうな顔をして、不意にこう告げたのだ。
「……それでは、満足できない」
どういうことだろう、と私が首を傾げていると、老紳士は連れてきたバッグを開け、中から一本の太い縄を取り出した。そして、熱を帯びた瞳で私を見上げ、「これで私を縛ってほしい」と懇願したのである。
バッグの中には、それ以外にも俗に言う「SMグッズ」の数々が隙間なく詰め込まれていた。それまでノーマルな、ただ愛し合うだけのタチだと思っていた私は、その瞬間、自らの中に眠っていたもう一つの本能――「Sタチ」としての悦楽に、一瞬にして目覚めさせられてしまったのだ。
老紳士は、縄でがんじがらめに縛られ、身動きの取れない状態の肉体を弄ばれることに、たまらない快感を覚える性質だった。最初は緊縛した状態での挿入だけだったが、行為は回を重ねるごとに、加速度的にエスカレートしていった。熱い蝋をその白い肌に垂らし、時には鞭を振るう。そんな過激なプレイも、彼に手ほどきを受けながら体験していった。
もし私にその素質がなければ、このような凄惨にも思える行為には嫌気がさしていたはずだ。しかし、私には元からその血が流れていたのだろう。怯え、歓喜し、悶える老紳士を容赦なくいたぶることに、私の加虐欲は激しく呼応した。相手をいたぶり、辱める行為の底なしの魅力に、私は文字通り溺れていった。
その老紳士との、甘美で歪な関係は数年間に及んだ。
その間に、私は完全なる「Sタチ」として完成されていった。相手を縛り上げた状態で鞭を打ち、自由を奪われた相手の口へ、私の大きなペニスを無理矢理ねじ込む。口内へ溢れ出るのは、精液だけではなかった。私の放つ小便さえも、相手は悦びの涙を流しながら飲み干していく。その絶対的な支配と従属の構図に、私は激しい快感を覚えるようになっていた。
彼との倒錯した逢瀬は、室内だけに留まらなかった。
天気の良い日に二人で街を散歩している時も、彼の着ている上質なコートの下は、一物も纏わぬ裸のまま、私の手によって縄で縛り上げられている……そんなスリリングな状況を何度も愉しんだ。また、ゲイの世界では大層モテる部類に入るその老紳士を、あえて男たちの集まる陰気な場所へと連れて行き、私の目の前で、彼のタイプではない粗野な男たちにお尻を差し出させ、そのまま種付けをさせるという、陵辱の美学にも手を染めた。
その老紳士から徹底的に叩き込まれた「Sタチ」の技術を武器に、私はその後、数々の相手を私の手で「調教」していった。生意気な男や、自分を偽っている男を、私好みの従順な犬へと変えていくこと――それこそが、私の至上の歓びとなった。
気づけば、そんな刺激的な生活を数十年も続けていた。
そして私は六十五歳を迎え、定年退職という人生の節目に行き着いた。
振り返れば、私の人生は男性一色、それも「特定の相手を見つけては、自分の色に調教すること」が、唯一無二の趣味であり生きがいだった。
しかし、かつては体中から爆発するように湧き出ていた凄まじい精力も、年齢とともに、少しずつ確実に衰えを見せ始めていた。「ハッテン場」と呼ばれる、男たちが集う暗がりの場所に赴き、好みのタイプを見つけて肌を重ねてみても、かつてのような魂が震えるほどの快感は得られず、どこか物足りなさを感じるようになっていた。
現役で働いていた頃は、平日は真面目に仕事をこなし、土日はそうした暗がりの場所で男を調教するという、生活の「メリハリ」が私を突き動かしていたのだろう。しかし、平日も休日も境目のなくなった現在の悠々自適な日々にあっては、そのメリハリ自体が消失してしまった。あんなに夢中だった調教すら、次第に「面倒くさい」と感じるようになっていく自分がいた。
それでも、自分が根っからの「男性愛者」であるという厳然たる事実は変わらない。
あの鮮烈な三十代の夜から始まった私の旅路。今はただ、衰えゆく身体と消え残る情欲の残り火を抱えながら、週に一度、引き寄せられるようにハッテン場へと、ただ静かに足を向けるだけの日々を送っている。
26/05/29 14:09更新 / 調教師の60代
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